オチのないindulgence

ここだけの話をしよう

ある閉ざされた冬の劇場で──映画「ある閉ざされた雪の山荘で」に寄せて

ご無沙汰してます。

前エントリから半年以上経っている事実に震えが止まらん。ご無沙汰してる間に自軍のグループ名が変わっています。定期的にある程度まとまりのある文章を書かないとどんどん感覚が鈍っていくので、2024年はもう少し事ある毎にさくっとブログを書きたい所存です。2万字とか書くから心理的ハードルが上がるんだよね。

 

皆さん、話題の映画『ある閉ざされた雪の山荘で』|大ヒット公開中!はもうご覧になりましたでしょうか? 私は4回観ました。重岡担じゃないのに。

もちろんWESTꓸのオタクとして興行収入や動員数に少しでも貢献したい〜!という気持ちがないわけではないし、我らがセンターの演技力は筆舌につくしがたいし、エンドロールに流れる「WESTꓸ」というグループ名には毎度グッときていますが、それだけならここまではリピらないんだよな。

 

私が閉ざ雪をリピる理由。それは、この映画でしか味わえない感覚があるからです。

 

そりゃ一体何ぞや?というところをお話するためには、この映画の根幹に触れざるを得ません。つまりここから先は大ネタバレです。映画をご覧になった上でこの続きを読んでいただきたい。ほんまに。お願い。この程度の文章で観る気になるかァ❗️というちゃぶ台返しは受け入れるので、なんでもいいからとりあえず映画を観てください。(必死)

あっ、これ原作だけ読んでる人にも言ってますからね…!?閉ざ雪に限らずそもそも小説と映画は異なる見せ方をする媒体ですが、この作品はマジで、もはや別物のエンターテインメントなので。だからって「なんだ原作と違うのか」で映画館に行く足を止めないで!!お願い!!!

 

 

 

 

 

言いましたからね? 大ネタバレですよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️

あらすじ。

 劇団「水滸」の次回公演最終オーディションとして、あるヴィラに招かれた7人の役者──本多雄一、雨宮恭介、中西貴子、笠原温子、田所義雄、元村由梨江、そして唯一水滸の劇団員ではなくフリーの役者である久我和幸。

到着すると劇団の主宰である東郷からの、「大雪の中、山荘に閉じ込められた7人の役者がある事件に遭遇する」という架空のシチュエーションを4日間に渡って演じろとの指示を受け取る。至るところに仕掛けられた監視カメラ、意味深に7冊置かれた小説「そして誰もいなくなった」……

初日の夜に早速"犠牲者"になったのは温子。温子が殺されたという"設定"の下、推理劇のようなものを演じようとする役者たち。

次の日の夜には由梨江も"犠牲者"となる。しかし、"凶器"という"設定"であるはずの花瓶には血糊ではない本物の血が付いていた。この花瓶の発見をきっかけに、残された5人はこれがオーディションの蓑を被って実際に起こっている殺人事件なのではないかという疑いを持ち始める。

そこで、5人は水滸の劇団員の一人であった麻倉雅美と事件が関係している可能性に辿り着く。オーディションに落ち実家に帰った雅美を、温子と由梨江そして雨宮は励ましに行ったのだが、そこでの諍いをきっかけに雅美は事故に遭い、下半身不随で車いすなしでは生活できなくなる。二度と舞台には立てない身体になってしまったのだ。雅美に憎まれていることと雅美の協力者が自分をも殺そうとしているかもしれないことに怯えた雨宮は離脱しようとするが、本多が「全て東郷先生の手の上」であるという可能性を提示し、全員そのままヴィラに残る。

翌朝、最終日の朝。案の定雨宮が"犠牲者"となった。前日の行動から本多雄一を怪しいとにらんでいた久我和幸は、田所・貴子と共謀してお互いにアリバイを作り、本多を犯人だと名指しする。本多はそれを認め、自分が3人を芝居に見せ掛けて殺したと宣言する。

監視カメラに合わせて置かれた盗聴器の存在から久我は、実際役者たちの動向を監視しているのは他でもない麻倉雅美であり、彼女がすぐ側にいることを確信する。久我の予想通り、雅美は山荘内の隠し部屋にてカメラを通して全てを見届けていた。

しかし久我はここでもう一つの指摘をする。本多が3人を本当に殺していたのならばありえないはずの状況証拠を並べ、本多は「雅美の代わりに3人を芝居に見せ掛けて殺す」フリをしてそれを雅美に見せたのだと断言する。そして、"犠牲者"ではなく"共犯者──共演者"であった温子、由梨江、雨宮が再びそこに現れたのであった。

自分が本多に嘘をつかれていたこと、憎んでいる3人がまだ生きていることに雅美は激昂するが本多がそれを止める。3人は雅美に改めて謝罪をし、本多や久我、貴子や田所は「生きて(また)一緒に芝居をやろう」と雅美を励ます。

雅美は号泣し、

 

ここで舞台が大きく変わる。

山荘から劇場のステージの上に変化し、8人もかっちりした服装に身を包んでいる。 そう、これまで観客が観ていたのは劇団水滸の公演「ある閉ざされた雪の山荘で」だったのだ。本編を終えた役者たちは舞台袖で談笑し、そしてカーテンコールで再び観客の拍手を浴びる──。

 

 

……はい、大筋はこんな感じです。端折った部分もかなり多いんですがそれはまあ映画を観ていただいて。

震えましたね。初日朝イチで行ったんだけどもう映画館出るとき脚ガクブルだった立ち寄ったお手洗いでトイレットペーパーを巻き取る速度とんでもなかった(どこに興奮を発現しているんですか?)。

この映画の主題歌は我らがWESTꓸの「FICTION」*1なのですが、もうこの曲のサビにある通り「どこからどこまでフィクション⁉️⁉️⁉️」状態。

凄いんですよ。映画でこんなことをやられるなんて思ってもみなかった。

 

前提として舞台の話をするんですけど。

舞台(演劇)って、最近は配信なんかもするようになったけど基本的には観客がわざわざ劇場に足を運んで、そこで生身の役者が空気以外のものを媒介せずに虚構を演じるものじゃないですか。私は一応演劇を人並みよりちょっと多めくらいにはかじっていて、全然専門的じゃないながらに「そんな舞台だからこそできること」をやってくる舞台が結構好きなんですね。実際そんな舞台を作る側の立場に立ったこともある。

例えばキャストが観客に交じって座っていて、客席からキャストがセリフを発したり。キャストが急に「自分たちが演技を観られている役者」だと自覚してメタ的な展開を繰り広げたり。観客に自分が物語の登場人物の一人であると錯覚させたり、その逆で自分たちが芝居を観ている観客にすぎないとあえて我に返らせたりする。WESTꓸ関連だと、流星くんが主演していた「NOISES OFF」なんかはその一例だと言えます。それって、同じ空間に演者と観客がいる舞台だからこそできる挑戦だと思うんですよ。思ってたんですよ。映画閉ざ雪を観るまでは。

 

えっ、映画でそれやる!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

 

脚の震えの原因はまさしくこの驚きでした。スクリーンというどうやっても越えられない壁がそこにあるのに。これはずっと前に撮影された映像なのに。私たちは舞台「ある閉ざされた雪の山荘で」の観客であると錯覚させられ、同時に映画「ある閉ざされた雪の山荘で」の観客であると自認させられたんです。なんっ……何………………三重構造どころか四重通り越して五重構造じゃん………………………………………………………

 

実際どこからどこまでフィクションなのかは映画を最後まで観ても分からない。雪の山荘での殺人劇は本当にあったの?雅美はあそこまで3人を憎んでいたの?田所は由梨江ちゃんに対していつもあんなにキショいの?温子は演出家と寝てんの?久我は本当に部外者なの?雅美は本当に下半身不随なの? 分からない。分からないんですよ。これに関しては私も友達と解釈大乱闘スマッシュブラザーズを繰り広げているところですが、正直答えは出ないと思う。提示されてないんだもん。

こうやって「もはや全てが謎」の顔をせざるを得ないような結末を示し、もはや感情移入させる隙などどこにもない。もう感情移入どころじゃない、考察考察。

恐ろしい映画だと思います。

 

原作は小説だからこそできる読者をあっと驚かせる仕掛け──俗に言う叙述トリックが使われていて(これも言及したいのですが、この驚きはまた原作を読んだ人にこそ感じてほしい。東野圭吾すごい)、映画はそのトリックを封じられたから別のトリックを観客に仕掛けていた。正統派のメディアミックスではないと感じられるかもしれない。でも、これも一種の答えだよね。そう思わされました。

 

この体験、この映画でしかできないんだよ。知らんけど。

だから私はリピり倒しています。何度でもこのゾワゾワを感じたくて、そして考察を深めたくて。

完全に自己満でこの文章を書いていますが、もしこれを読んだ方が「もっかい観てみるか〜」と感じてくれたらそんなに幸せなことはないです。スルメ映画だよ。もっかい行ったほうがいいよ。コミュ障オタクなので現時点では全部一人閉ざ雪だけど、声掛けられたら全然一緒に行くよ。 皆さんも是非、「ある閉ざされた雪の山荘で」をどうぞ!(誰?)

 

happinet-phantom.com

*1:自覚的なのか無自覚なのか、ほぼWEST担自我を亡きものにしてこのブログを書いていますが、この主題歌はマジで贔屓目なしに映画閉ざ雪の主題歌として完璧だぞ。ぜひ。


www.youtube.com

夢を奏でるあなたへ

神山智洋くん、30歳のお誕生日おめでとうございます!!!!!!!

 

 

…もう何から綴ればいいか分からない。(おしまいの書き出し)

 

私が神山くんを好きになったのは、神山くんが26歳になってちょっと経った頃。それから少しばかり年月が流れ、私の年齢の十の位が1から2に変わり、そして今日、神山くんの年齢の十の位が変わりますね。昨年から「今年はラスト20代」「世界一プリティな30歳になる」と節目をバチバチに意識し続けている神山くんのオタクだからこそ、この節目を迎える瞬間も神山くんを好きでいられることを嬉しく思います。心配しなくてもあなたは世界一プリティな29歳だったし、今この瞬間から宇宙一プリティな30歳です。

………と言っても神山くんは私より何個も上の立派な成人男性であって、赤ちゃんでもねこちゃんでもないので、一つの目標を掲げながら日々を生きる神山くんのことを素敵に思っているが故に「ヨッ!あんたが大将!」みたいな勢いで「宇宙一プリティな30歳だよ!!」と叫んでいます。(別に皆も本気で赤ちゃんねこちゃん扱いしているわけではないでしょうに)

 

個人的かつちょっと暗い話にはなってしまいますが、この1年ちょっとの間で、私はいろんなものを見失いました。ここには書けないくらい(というか書いたら身バレする)なので割愛しますが、自分が何をしたいのか、どこに向かって学んでいるのか、なんで生きてるのか、全然分からなくなって息をするのも苦しかった薬漬けの時期がありました。実を言うと今もそこから完全に脱却できているわけではないのだけれど、そんな日々の中でも「神山くんが好き」「ジャニーズWESTが好き」という気持ちだけは見失わなかった自分のことを、改めて今日ちょっと褒めてあげたいなと思います。神山くんに胸を張って「あなたのおかげで立ち上がれました」とファンレターに書けるように、がんばるぞ!

 

自語りはこのあたりにしておきたいところで。なんで私がそこを見失わずにいられたかというと、それは「神山くんとジャニーズWESTが、不安になる隙のないくらいいつも素敵な言葉を私たちに伝えてくれるアイドルだから」に違いないんですよね。もちろん声も顔も不器用なとこも全部全部100%大大大好きなのはそれはそうなのだけれど、私が神山担を続けられた理由は神山くんの言葉にあると思っています。

…というわけで、せっかくのお誕生日だし、超個人的・「29歳神山くんの名言7選」でもやらしてもらおうかと。テレビ番組・Johnny's web・雑誌・YouTubeから厳選しました。長文重め愛語りが続きますが、ほんとは30歳になるからってラジオとかライブの挨拶とかも拾って30選にしようとしていたところだったので、7選で大目に見ていただきたいところです。

それでは早速。

 

 

 

1.「新しい夢が始まりました!」

ジャニーズWEST初のドームツアー「TO BE KANSAI COLOR」オーラス翌日の8月12日、神山くんのJohnny's web個人連載「G.O.Diary」内の言葉。夢を叶えたそばから新しい夢を掲げてくれるその心意気が大好きやねん。もうこの日のブログは正直全文ここに掲載したいくらい大好きで、今でも読み返すたびにビリビリする。舞台の千穐楽やグループの記念日にも素敵な言葉をたくさん届けてくれる神山くんだけど、この1年間のwebから1つ選べと言われたら間違いなくこれ。「始まりには終わりがある そして終わりがあるから始まりがある」「決してゴールではない また帰ってくる! まだ立ててないドームに立ちたい!」そうやって自分が、グループが、また新たな目標に向かって突き進まんとしていることを、背中で語るだけじゃない。全部伝えてくれるんです。だから不安になる隙なんてない。

「夢を持てるのは皆んなのおかげ。心からありがとう」と、応援しているファンに感謝の言葉を伝えてくれるのもとっても嬉しかった。ちょっと話題が逸れますが、2023年のアリーナツアー「POWER」でも「夢」という漢字を「ありがとう」の平仮名5文字で描いてくれていたのがすごく印象的で*1。ファン(私)は神山くんが夢を見続けてくれているからこそ「その夢を叶える姿を見たい!」という気持ちをエネルギーに応援できているし、そんな神山くんは「夢を持てるのは皆んなのおかげ」なんて言って感謝してくれちゃう。相思相愛じゃんそんなの……。このブログのタイトルもStrike a blowの歌詞から表現を拝借しているけれど、神山くんが「夢」を語り奏でることを素敵だと感じながら日々応援しているオタクなのでね。Twitterのbioまで「いつかの夢はリアルになる 君ならきっと」のオタクです。一貫しています。

時系列順に並べたのでこれが一番最初に来ちゃったけど、これに熱量かけすぎてこの後が心配です()

 

2.「アイドルもなかなかいいでしょ?」

8月16日のめざましテレビで、ドームオーラスを迎えたWESTの特集が行われていた。そのVTRの中での発言。メトロックの話題、「青春時代をアイドルにかけてきたんですよね。『アイドル へっ』みたいなのをひっくり返したかったというか」という語りに続く上記の言葉。歌もダンスも演技もバラエティもなんでもやっちゃうアイドルだからこそ、その中の1つの分野で戦っている人やそのファンは彼らに複雑な感情を抱いてしまうのかもしれない。それでも、アウェーも甚だしいメトロックのステージで「俺たちアイドルに胸張って生きてます」と高らかに宣言してくれたのが本当に嬉しくて誇らしかったし、この人が差し伸べてくれる手を取りたいと思ったんですよねえ…

これは私個人が勝手に感じていることなんだけど、神山くんって「アイドルなのに」「ジャニーズじゃないみたい」といった言葉に敏感な気がしている。たとえそれが褒め言葉の文脈だったとしても、「アイドル」「ジャニーズ」を卑下してまで自分を褒められたくないと考えているんじゃないかな、と。自分のポジションに矜持を持っているところ、とっても素敵だなと思う。

メトロック時点では神山くんは28歳だし、多分この発言も28歳の神山くんによるものだと思うんだけど()、放送日時点では29歳なのでここに並べます。だって好きなんだもん許して!(そんなこと言い出したらなんでもありになっちゃうわよ)

 

3.「誰かが必要としてくれることが、自分たちの存在意義やと思うから」

11月9日発売「TVガイド PERSON vol.123」のインタビューの中での発言。私の棺桶には証拠初回盤BのDVDとこの雑誌を入れておいてくれ、と願わずにはいられないくらい素敵なテキストだった。舞台「幽霊はここにいる」の宣伝のインタビューという流れで「"物の値打ちは誰かが金を払うから出てくる"というようなセリフも出てくるが、アイドルでいる意味、価値って何によって感じるものですか?」という質問をしたインタビュアーさんは早く口座番号を教えてほしい。言い値で振り込むので。

さっきの話とも若干重なるけど、そんな質問を受けて「応援してくれる人がいることで、俺らが存在できているって気持ちは大きい。誰かが必要としてくれることが、自分たちの存在意義やと思うから」と伝えてくれる神山くんは、びっくりするほど究極のアイドルだなと強く思う。君は完璧で究極のアイドル…金輪際現れない一番星の生まれ変わり…

「私には生涯神山くんが必要なのでずっとアイドルやっててください」とは、残酷すぎるので簡単には言えないけれど、でもそんなお願いすらも口にしたらきっと神山くんは全力で叶えてくれようとしちゃうんだろうな。……私さん、何目線発言ですか?????

 

4.「死ぬその日まで音楽やってる」

11月20日放送の「千鳥の鬼レンチャン」内での発言。もうここまでお読みの方は胃もたれするほどお分かりでしょうが、私は熱語りを本気で咀嚼するタイプのオタクです。

ライブパフォーマンスにも一切の妥協がなく、作詞作曲楽器演奏もこなして音楽に真剣に向き合う神山くんだからこそ出てくる発言に、テレビ画面見ながらスタンディングオベーションしてしまったよね。ちょうど先述のTVガイドPERSONでも「命が尽きる直前までギターを弾いていたい」なんて言っていたのも思い出して感動。マジでこの人一貫してるな。

2023年4月放送の鬼レンチャン2回目でも熱語り(をもはやコンテンツ化)していたが、それらもすごく素敵だった。熱語りを真顔でやるボケだと思っている千鳥かまいたちの皆さんにジャニーズWESTのライブ見ていただきたいな、あれはボケじゃないとわかるので。

7月22日にも27時間テレビ内で熱語りがきっと見られるので楽しみ!はまかみで鬼レンチャンしてくれ~!!

 

5.「僕の根底にあるのは『アイドル』なんです」

12月15日発売、雑誌「with」。不定期刊行になって最初の号に神山くんのインタビューが掲載されていた。幽霊期の雑誌2個目はさすがにくどいと思われている気がするが、だって全部良質なテキストだったんだもん…これでも厳選してるんです……。ダンスを始める前のブロック遊びから神山くんのクリエイティビティの根源を辿っていったwith様は流石としか言いようがない。私は諸事情によりwithのテキストを全面信頼しているオタクなのだけれども(?)、これも全文凄かったな。

「応援してくれているファンの人たちは『アイドル』であるオレたちが好きやから」「オレはそんなみんなの思いを背負っていかんとって思っていて」「例えば、今後WESTとして、『もうダンスはそんなにやらなくてよくない?』と言う提案が出たりしたら、オレは徹底的に反対すると思う」「WESTにとっては『みんなに応援歌を届ける』ということもとても大切にしている使命やけど、それでもやっぱり、みんなの期待に応える『アイドル』でありたい」

ヤバい。引用が多い。でもこれ、これ以上端折ったら伝わってほしいところも伝わらない上に、これがすべてなんですよ……。メンバーみんなこの気持ちはあると思うんだけれど、でもそうやって声に出してくれる上に実際に「振付」という形にしてファンに届けてくれる、有言実行のひとだと感動した。withマジでめちゃくちゃ良かったので、ゲットしていない同担は何らかの手段で頑張って手に入れてほしいとすら思う(???)

 

6.「緊張するー、…楽しんでいこう!」

5月4日配信のWESTube「【ムチャブリ!?ニュースキャスター】笑わずに伝えろ! - YouTube」の中での発言。リンクは時間指定済です。やっと年が明けたと思ったらいきなり5月のYouTubeという。飛びすぎである。WESTubeは毎回毎回笑いが止まらないトンデモコンテンツで、その中でも個人的上位のおもしろ回なので正直全部見てほしいんだけど、まあこのブログを開くような方々は一通り見ているとは思うので。

神山くんがリポーターを任されたタイミングでさらっと口に出したこの気合い入れ。それを拾ってくれた照史くんとWESTubeテロップ担当の方には頭が上がらない。「しんどいもめんどいもスパイシー超魅了」を体現するかの如く、緊張するムチャブリ受けにもドンと構えるその姿、カッケ~~~~~~~!!!!!!!私も緊張するようなサムシングの前にこれを呟くようにしています。

 

7.「磨けば光りますよ、その子は」

6月15日配信のJohnny's Gaming Room「大富豪の進化系!?『スカウト』した手札で勝負!【レッツプレイ!オインクゲームズ】 - YouTube」での発言。こちらも時間指定済。詳しいルールは動画を見ていただきたいところだが、場にある中で両端のカードだけをスカウトして自分の手札にできるという状況に対して、宮田くんが「センターの子ってスカウトしづらいもんね」とアイドルに重ねたコメントをしているのに対する神山くんの返しである。今回のブログで一番「そんなとこ見てたの!?」ポイントが高い項目である自覚はあるけど、1年間の発言でTOP7に入るくらいにはぶっ刺さって深夜におふとんの上でじたばたしてしまったんですよ、これ。

グループのセンターではない神山くんが、両端の存在に対して「磨けば光りますよ、その子は」と言ったこと、もはや陳腐になってしまった言葉で言ってしまうけれどものすごく「尊い」な、と思うのです。センターじゃないポジションに置かれても腐ることなく、グループのために自分を磨き上げている人がこの言葉を口にする重みよ。ジャニーズWESTは絶対的センターを擁しながらも、同時に誰が欠けても成立しないグループでもあって。両端の存在もとっても魅力的なことを誇ってくれること、素敵だなあ。

え?そんな話してない?……そうかも……()

 

 

以上7選!

ほんとにね、ここに載せきれない好きな言葉たちもいっぱいあったし、作詞作曲した「Strike a blow」も神山くんらしさが詰まりすぎていて1行ごとに解説(というのは名ばかりの褒めちぎり)を入れたいところなんだけど、これ以上伸ばすといい加減ブログが読みにくいということでこの辺りにします。既に読みにくい分量だというクレームは受け付けかねます。

26歳の神山くんより27歳の神山くんは素敵だったし、27歳の神山くんより28歳の神山くんが素敵だったし、28歳の神山くんよりも29歳の神山くんは素敵でした! きっと29歳の神山くんよりも30歳の神山くんはずっとずっと素敵なんだろうと、今この瞬間から迎える1年間が楽しみで仕方ありません。

30歳の神山くんに、30代の神山くんに、もっともっとたくさんの幸せが降り注ぎますように!

*1:2021年にもこの文字を書いていたのがSmile Up! Projectの公式インスタに掲載されている。https://www.instagram.com/p/CLQedYyhl8G/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=MzRlODBiNWFlZA==

幽霊はここにもいるのか──舞台「幽霊はここにいる」に寄せて

先日大千穐楽を迎えた、ジャニーズWEST神山智洋くん主演の舞台「幽霊はここにいる」。私は当日券キャンセル待ちやら一般やらで財布の許す限りチケットをかき集め、5回観劇することができました。

 

ドームツアーが終わったそばから髪を黒く染めた神山くんに期待し、「これは何かがある」と約1か月ほぼ毎晩夜更かしをして迎えた9月15日の朝が懐かしい(不健康にも程があるよ)。安部公房作」「PARCO劇場の文字で、無学な私にも神山くんがまたまたとんでもなく難易度の高い舞台に挑戦することが分かった。神山くんは言わずと知れたシェイクスピアの名作「オセロー」で難役イアーゴーを務め上げたこともあれば、現代戯曲の最高傑作との呼び声も高い「LUNGS」では円形の何もない舞台にたった2人、絶え間ないセリフの応酬を繰り広げたこともある。そんな神山くんを演劇界が放っておくはずはないのだ。放っておくはずはない(ので発表された演技仕事が舞台だったというのは納得な)のだが、これはこれでたいへんに難しく、先述の2作品とは異なる角度の体力と精神力を必要とする舞台だろう。9月15日の時点でそう思った。

 

観劇前の気持ちを長々と書いていても仕方がないので、あらすじを説明しつつ観劇後の感想、パンフレットや1958年版の戯曲を読んだ上での考察、飛躍した思考その他諸々を書き連ねていこうと思う。もちろんネタバレを多分に含むので、避けたい方はご注意ください。

 

 

 

「幽霊はここにいる」というタイトルの通り、この物語は「幽霊」と彼に翻弄される人々を描いたものである。神山くんが演じたのは「幽霊」が見える男、「深川啓介」

深川は戦友であった「幽霊」の身元を探すべく死人の写真を買い集めようとしているのだが、金がなくそれができかねていた。そんなところ、深川はとある浮浪者・大庭三吉と出会う。「幽霊が見える」だの「鏡を見ると頭痛がする(からなのか、アスピリンを持っている)」だのおかしなことばかり言う深川を当然怪しむ大庭だが、深川を利用すれば金が稼げるのではないかと考え、言葉巧みに深川に取り入る。

大庭は、8年前に起きたとある事件の重要な関係者であったため、住んでいた北浜から逃れていたが、このタイミングで自宅である「ヒカリ電気」に戻ってくる。家を偵察し、妻・トシエと娘・ミサコが2人でなんとかやりくりしてヒカリ電気の看板を掲げ続けていること、そしてトシエには少しばかりの貯金があることを把握した大庭は深川を連れて家に入るが、8年も便りなく家を空けていたにもかかわらず、戻ってきたと思ったら「幽霊」などととんでもないことを言い出す男(深川)を連れている大庭にトシエとミサコは呆れ返り締め出そうとする。トシエは8年前の事件を目撃した証人を知っていると言って大庭を動揺させようともするが、大庭は2人を言いくるめ、トシエの貯金には頼らないと言いながらヒカリ電気にて新たな商売を始める。

 

8年前の事件のことを掘り返されたら困る人間は、大庭以外にも何人かいた。町の権力者である鳥居兄弟(兄は金融業者・弟は新聞経営者)、まる竹(土建業者)、北浜市の市長である。大庭が北浜に戻ってきたことを察した権力者たちは、彼を警戒し、鳥居弟の新聞社の記者・箱山義一に動向を探らせる。

 

「高価買います 死人の写真」───「幽霊」のことは伏せたビラ。深川と大庭が貼ったそのビラを見て、さっそくとある市民が死人の写真を売りにやって来る。写真を預かり、死人の身の上を聞き出した深川と大庭は、代金の預り証だけを握らせてその市民を追い出す。

数枚ばかりの写真を集めた深川たちだが、「幽霊」が言うには彼以外の幽霊たちも噂を聞きつけ、自分の身元が知りたいと大騒ぎしているとのこと(深川には戦友の「幽霊」以外の幽霊は見えない)。偵察がバレて「記事を新聞に載せること」と引き換えに中に招かれた箱山や大庭一家が見守る中、深川は幽霊たちを前に、集めた死人の写真とその死人の身の上調査票を晒し、心当たりがないかを幽霊たちに伺う。そして、「幽霊」が深川に通訳して教えてくれる幽霊たちの特徴をノートに書き留めていく。

 

箱山が書いた記事は、瞬く間に町じゅうの話題となった。信じる者も信じない者も、恐れる者も縋る者も、皆「幽霊」の話をしている。トシエやミサコは馬鹿馬鹿しさに呆れ、預り証を出されて求められる金もない事実を改めて大庭に突きつけるが、そこに最初の客がヒカリ電気に慌てて戻ってくる。あの程度の金額で幽霊に祟られたくはないと、写真を取り戻しに来たのだ。そこで大庭はまたも巧みな話術を発揮し、なんとその客に写真を高く売りつけて利益を得てしまった。「今度は戻ってきても困らない赤の他人の写真を持ってくると良い」とまで吹き込んで。

 

「幽霊」を巻き込んだ商売は町を席巻していく。「幽霊に病気を治してもらいたい」「幽霊ならスパイはお誂え向きだろう」と願望を満たすために幽霊を利用しようとする者もいれば、「写真屋を開業して原版を保存しておけば後々大庭のところに高く売りつけられる」「死人がたくさん映っているであろう軍人のアルバムを盗むのが良い」などと大庭らを利用してさらに金儲けしようとする者もいた。

 

深川はこの大庭のやり方に「ちょっとあくどすぎやしないかな」と疑念を抱き始めるが、「幽霊」はそうではなかった。(「幽霊」のセリフが観客に共有されることはないのでブログ筆者の憶測を含むが)「幽霊」はこの事態にすっかり気を良くしていたのだ。そんなところに水を差した深川は、「幽霊」に殴られてしまう。最初は殴ったって痛くもないと豪語するが、次第にそれは深川自身が感じる頭痛になっていく。

ミサコも「役に立つものがちっとも売れないで、ありもしないものがどんどん売れる」ことに腹を立てていたが、トシエはうまいことこの波に乗っていた。大庭の弱みを握っているのをいいことに、目撃者の口止め料としてなかなかの額を大庭に請求していたのだ。母親にも失望したミサコは「死んじまったほうがマシ」と口走るが、「幽霊」に「もし死ぬなら自分の前で死んでくれればミサコさんを見失わないで済む」などと(深川の通訳を通して)言われてしまう始末。

箱山ははなから深川のことを「気の弱い気狂い」扱いしている。ミサコが親の幽霊商売に不信感を抱いているのを察して近づこうとする。そこで偶然、2人はある男が身投げをしたのを目撃してしまった。

 

その頃、大庭は町の権力者たちに商談を持ち掛けていた。大庭自身と権力者たちを中心とした「幽霊後援会」なる組織を作ろうという話である。大庭のインチキで幽霊の存在を感じざるを得なくなる権力者たち。土建業者のまる竹は「幽霊会館」建設の話に食いつき、市長も大庭の「日本じゅうの幽霊の推薦となれば県会議員や代議士にもなれるだろう」というおだてにまんまと乗せられる。

幽霊後援会の話がまとまりかけた頃、箱山が身投げの報せを持って駆け込んでくる。その身投げは「幽霊の話を読んで自殺を決心した。これは実験だ。自分が幽霊として出てきたらそれが私だと知らせてくれ」といった内容の遺書を伴うものだった。しかしなんとここでも大庭は、幽霊になっても身元を確認できるよう手数料を積み立ててもらう「幽霊保険」というビジネスを考え付いたのである。金融業者である鳥居兄をはじめ権力者たちも大賛成。忠告しに来たはずなのに事態を加速させる結果となってしまったことに箱山はすっかり呆れるが、都合の悪いことを言うなと鳥居弟に容赦なくクビにされる。

 

ミサコは深川に「あなたのせいで人が一人死んだ」と詰め寄っていた。「幽霊」があまりにもいい気になっていることと、深川が「幽霊」の言いなりになっていることが不満なミサコは、「幽霊」がミサコに想いを寄せられている(と深川が言っている)にも関わらず、「『幽霊』はもっと遠慮をすべきだ、深川さんも『幽霊』の言いなりになりすぎることはないはずだ」とまくし立てる。深川は戦友を見殺しにしてしまった強い罪悪感から「僕は単なる彼の代理なんだから」と「幽霊」の言動をほぼ丸ごと受け入れていたのだ。ここまで来ても「幽霊」の言いなりであり続ける深川にも、ミサコは呆れてしまう。

そこにトシエが、深川を相手に交通事故の写真を売ろうとやってきた。トシエも信用ならないと踏んだミサコは、母が父を脅しているネタである「8年前の事件の目撃者」が誰なのか自分にも教えてほしいと詰め寄る。トシエはそこで、事件の目撃者は実は自分なのだとこぼす。

 

深川の頭痛はどんどん酷くなり、彼を苦しめていく。明らかに用量を超えたアスピリンを一気に飲み下す深川。

 

幽霊後援会の発会式がきらびやかに行われている。司会の大庭を中心に、会長である市長をはじめとした権力者たちや深川、そして「幽霊」も参加していた。「幽霊服」(幽霊ビジネスの一環。観客にはまるで下着以外見えない)のファッションショーも行われ、「幽霊」と深川が考えたスピーチを深川が叫ぶ。式はどんどん派手でにぎやかなものになっていくが、突然「幽霊」が後援会の会長になりたいと言い出す。その後のテレビ出演では「後援会会長だけでなく市長にもなりたい」「市長になるのに未婚だと不利なら、ミサコと結婚したい」とも発言する(これらは全て深川の通訳を通している)。権力者たちも黙って見てはおけないはずだが、幽霊ビジネスから利益を得ているため「幽霊」の機嫌を損ねることができないのだ。

いよいよ「幽霊」の暴走が始まった。この異常な事態をひっくり返したい箱山は、深川を「幽霊」から引きはがしたいミサコに近づくが、ミサコは一蹴する。

権力者たちは頭を抱えていた。「幽霊」の機嫌を損ねずに、彼に市長を諦めてもらう方法はないのか。ミサコも「幽霊」との結婚を断固拒否していて埒が明かない。ミサコの代わりにならないかと用意したモデル嬢にも、「幽霊」はまったく靡かない。

 

そこにミサコが、とある男女を連れてやってきた。深川は彼らを目にした瞬間、驚きで固まってしまう。

男は、本物の深川啓介だったのだ。

彼が現れた瞬間、「幽霊」は消えてしまう

 

これまで「深川」を名乗っていたのは、深川の戦友であった「吉田」という男だった。吉田は戦友を見捨てたというショックのあまり自分と「深川」を取り違えて認識し、ずっと「戦友の幽霊」という幻覚を見ていたのだ。戦友は生きていた。捕虜になって離れ離れになり、後になって「深川(吉田)」の事情を把握した本物の深川が、全ての種明かしをしていく。吉田はこれまでずっと嫌っていた鏡を見つめ、自分が深川啓介ではないと気が付いた。ミサコが連れてきた女は吉田の母だった。吉田は戦友と母との再会を果たしたのだ。

 

こうなると困るのは大庭と町の権力者たち。幽霊ビジネスでおいしい想いをしていたのに「幽霊」がいなくなるなんてと狼狽する。吉田やミサコらを閉じ込めてスキャンダルの隠蔽を図るも、ミサコは「8年前の事件のことを知っている」という切り札を使って権力者たちを黙らせてしまう。大庭とトシエも都合よく一緒になってその場を去る。

 

権力者たちは途方に暮れていたが、同じくしてそこに残っていたモデル嬢が「同じことじゃない、最初からいやしなかったんだから」と、存在しない幽霊との結婚を承諾する。モデル嬢は新たに「幽霊」を生み出し、ふてぶてしく「幽霊」の要求を権力者たちに呑ませていく。

 

吉田親子や本物の深川、大庭一家が揃っていたところに箱山が飛び込んでくる。「続き」をやっている異常な権力者たちのことを伝えに。しかし本物の深川は「どうだっていい」、ミサコも「結局は反市長派から見返りが欲しいだけでしょ」と歯牙にもかけない。

この話を聞いて悔しがっていたのは大庭夫妻だけだった。今度の幽霊は自分のことなんか相手にしないと項垂れる大庭に、トシエは「あんたも幽霊が見えることにしちゃったらいい」と吹き込む。「8年前の事件の目撃者」が自分であり、「口止め料」も貯めていたことをトシエから聞いた大庭はすっかり水を得た魚の如く元気を取り戻す。

 

こうして、北浜市の幽霊ビジネスは続いていく。

 

 

…とまあ、幽霊とそれが見える男のハートフルストーリーなのかと思って行ったら(それはそれで思慮が浅い)難解な社会派作品でしたという、非常に考えさせられる作品だった。前提として「幽霊はここにいる」のストーリーを大雑把にでも把握したうえで読んでいただきたいので長々とあらすじを書いてしまったが、ここからが本題であるようなものです。

 

最初はFC先行の1枚きりしかチケットを持っていなかったが、初日が始まって以降の一般チケット再販売や当日券キャンセル待ちを駆使した結果、より多面的に舞台を楽しむことができた。結末を知ったうえで、パンフレットを読み込んだうえで、原作を一読したうえでもう一度頭から通して観劇すると、毎回毎回印象がまるで変わってくるのが本当におもしろかった(funnyではなくinteresting)。もちろん舞台というものは「なまもの」であり、何回見ても同じ映像が流れるドラマや映画とは違ってそのときにしかない呼吸を感じられるのだから印象が全く同じなわけはないのだが、それを踏まえても前提知識や日頃の思慮によって観劇後に得る感想がまるで違うのだろうと、自分の実体験を通して実感した。この点においては昨年観劇した神山くん主演舞台「LUNGS」でも似たような感想を抱いたが、「LUNGS」に対しては「この星に生きる人間の話」(バカデカ括り)と感じたのに対して、「幽霊はここにいる」は「この社会に生きる人々の話」であると感じた。「LUNGS」の話は主題ではないので割愛する。

ここからは全て私の偏った解釈を前提とした文章なので悪しからず。

 

 

「幽霊ビジネス」のからくり

パンフレットにもそういった内容の記述があったが、この舞台は「幽霊」が見える「深川」と自称する男を中心に、金もうけをしたい大庭が場を回していき、それを箱山が俯瞰するという展開が続いていく。(以下この神山くんが演じていた男のことを括弧書きで「『深川』」と表記する。同じく、「深川」に見えている幽霊のことを括弧書きで「『幽霊』」と表記することで、他の幽霊及びありもしないものと区別する) 大庭に翻弄されるのがトシエや権力者たちであり、ミサコは「深川」に想いを寄せつつ「幽霊」を疎ましく思っていて、またこの展開をすべてぶち壊すのが本物の深川啓介なのだが、メインキャストとして名を連ねているのがこの3人であるということを踏まえてもこの3つの立場をそれぞれ考えていくのが分かりやすいと考えた。まずは大庭の立場である。

 

幽霊という見えないものをきっかけに、どんどん話が大きくなって、庶民を巻き込んだ狂乱の騒動に発展していく。戯曲を読んで、「バブルってきっと、こういうことなんだな」と思いました。実体を持たないままにすごく大きなお金が動いて、みんながそこに乗っかって、楽しいような気がしている。

(舞台「幽霊はここにいる」パンフレット 堀部圭亮さんインタビュー)

 

これは鳥居弟を演じた堀部さんのコメントである。お恥ずかしいことにこの文章を読んで初めて、「この舞台はファンタジーでもホラーでもなく社会派リアリティショーであろうとしている」という思考に至った。

ミサコが父たちの進める「幽霊ビジネス」にうんざりしているタイミングでこぼす「役に立つものがちっとも売れないで、ありもしないものがどんどん売れるなんてどうかしてるわ!」というセリフに表れている通り、傍から見たら異常なやり方で金が動いている。大庭や権力者たちが次第に「幽霊はいる!」と強く主張するようになるのも、幽霊の存在を信じていることにすれば金を生み出していい思いをできるからにすぎない(「深川」のみ本当に「幽霊」が見えているのだがそれは後述する)。

大庭らは自分たちに、自分たちの金儲けに直接関わらない死のことを大したことだと捉えていないし、何ならその死さえ金儲けに利用しようとしている。それは「身投げした男の話を聞いて幽霊保険を考えつく」というエピソードからも伝わってくる。

気が狂っている。

箱山の立場も後述するが箱山も、傍観している観客もそう感じる。でもそれは、戦後を必死で生き抜いてきた彼らなりの生き抜き方なのだ。「何をするにもまず金だ、金がなきゃ何にもできやしないんだ」というセリフがある通り、手段を選ばず金を生み出すことができる人間が戦後の時代を生き抜いていけたのだ。2022年の日本を生きている私たちが冷笑できるものではない(どころか全く他人事ではないのだがそれも後述する)。

詐欺師と呼ばれた大庭が反論するシーンのセリフも印象的だ。

「いいか、これ(ハンカチ)に35円の値打ちがあるってのはな、他でもない、これに35円払ってくれる人間がいるからさ。物でも人間でも、値打ちってものはな、他人がそれにいくら払ってくれるかで決まっちまうものなんだよ。金を払うやつがいりゃあそれが値打ちになる。世の中にはな、だいたい詐欺なんてものはありゃせんのだ……」

この思想を持つ大庭が、うまいこと権力者たちを巻き込み権力を手にし、「狂乱の騒動」を先導しながらそれに積極的に飲み込まれていく様が、傍から見て非常に滑稽であると同時に見ていて思わず背筋が伸びるものなのである。ただただ滑稽という感想を抱く観客がいるとしたら、それは八嶋智人さんの圧倒的な「滑稽に魅せる」実力であるといえるだろう。

「深川」と「幽霊」もこの大庭の考えに共感し、大庭は「深川」を利用して金儲けを始めることになる。あっという間にこの力関係は逆転するのだが、それもまた後述。

 

「物でも人間でも、値打ちってものはな、他人がそれにいくら払ってくれるかで決まっちまうものなんだよ」という思想に基づいて、「役に立つものがちっとも売れないで、ありもしないものがどんどん売れる」社会。傍から見たら気が狂っているとは言ったが、果たしてこれが完全にフィクションであり自分に全く関係のないものと言えるだろうか、エンターテインメントにお金を溶かしているオタクの皆さん?(急にフランクに読者に話しかけないでください)

 

私も例に漏れずもちろん神山くんのファンとして、ジャニーズWESTが販売するCDやライブ及び舞台のチケット、神山くんがインタビューを受けている雑誌などなどを自分にできる範囲でお買い上げしている日々だ。正直に言おう、それらが私に直接役に立つことはない。そんなお金があるなら買ったほうがいい「役に立つもの」はたくさんある。まずバイトの昼休憩をおにぎり1個で耐えるべきではないし、散らかっている部屋を整理整頓するためにカラーボックスでも買ったらいいし、なんなら現場があるタイミング以外ボッサボサの髪も美容院に行ってなんとかしたほうがいい。でもこうはしない(さすがにしたほうがいいのでは?)。ギリギリまでそういうところにかかる費用を切り詰め、私はチケットを1枚でも多く手に入れるように努めながらCDやら雑誌やらを買う。クリアファイルなんてその辺のホームセンターに行けば5枚100円で売っているのに、自担の顔が印刷されているからと600円出して1枚買うのだ。しかもそのクリアファイルを袋から出して使用することはほとんどない。

私の母は特筆するほど誰かのファンになったことがない人間なので、オタクとしてはまだまだひよっこである私のこうした行動に全く理解を示してくれない。これまた誰のファンでもない高校生の弟はお小遣いをコツコツ貯めていて、バイトをしていないのに私より口座残高が多いくらいだ。私だって頭では分かっている、やめたほうがいい。

でもそうはしない。だって私は神山くんというアイドルが好きだから。神山くんというアイドルに、価値を感じているから。なんなら「これっぽっちの"対価"で神山くんとかいう素晴らしいお方のお姿を拝めていいのか?神山くんが発する言葉をこの値段で読めて、神山くんが提供する、私にとって最高で最強のエンターテインメントをこの値段で享受できていいのか?」くらいには日々思っている(あえて宗教じみた書き方をしていますが、わりとこの通りのことを考えています)。貧乏な私にはありったけの力で絞り出すような金額ではあるが、まあこれで神山くんと彼の作るものを見られるなら安いもんなのである。

 

何の話? 

そうそう、「自担/推しに価値を感じているからお金を出す」オタクという人間が溢れている現代日本のどこが「ありもしないものがどんどん売れる」社会ではないのだろうか、という話です。ましてや私は幻覚を見がちの思想強めオタクなので、私が私の脳内でこねくり回している神山くんが、神山くんのありのままの姿とは異なっていることも恐らく結構ある。もうそこまで来たら「幽霊ビジネス」と大差がないではないか。…神山くんご本人には何があっても絶対に読まれたくない文章が生まれてしまったところで、舞台の話に戻ろう。

市民の一人を演じていた稲荷卓央さんも話していた。

八嶋さん演じる大庭に、物の値打ちは誰かがいくら払うかで決まるもの、金を払う者がいれば値打ちになるんだという意味の台詞があるんです。これがすごいなと思いましたね。われわれ俳優も、絵や音楽もそういう存在ですから。この公演が投げ銭だったら? それは怖いなぁ(笑)。

舞台「幽霊はここにいる」パンフレット 稲荷卓央さんインタビュー

これをアイドルというこれ以上ない「偶像」を職業にしている人に演じさせ、そのファンに観劇させようとしたことの恐ろしさを感じずにはいられないが、それはまた最後にお話しようと思う。

 

なぜこんなビジネスが横行するのか? 答えは簡単、先ほども述べたが「お金になるから」である。大庭夫妻も権力者たちも幽霊が本当にいるかなんてどっちでもよくて、ただ金を動かして自分が得をできれば良いのだ。「役に立つもの」は実在しなければならないので、当然材料費と工賃が必要でその分手元に残る利潤は削れるが、幽霊をビジネスにしてしまえば当然材料費など生まれようがない。

例えば、ミサコに問い詰められたトシエはこう話す。「母さんは、おまえほど、ぜいたくじゃないからね……でも、どうやったら世間の波を乗切れるかは、知っているつもりだよ」 戦後、何をするにもまず金だった時代を必死で生きていくには、存在しないものにもすがるしかなかったのだ。それで金を稼げるならば。母親に「ぜいたく」だ、と言われたミサコは憤慨するが、実際ミサコは23歳。戦争が終わったときは16歳という設定だ。大庭が北浜を去ってからの8年間、トシエがミサコを女手一つで育て守ったという描写があるが、その通りミサコは守られて育ってきたのでトシエに言わせれば「ぜいたく」では確かにある(もちろん子供にその程度は「ぜいたく」をさせるのが親の役目であるともいえるが)。ミサコはこの戯曲を通して「大庭夫妻や権力者たちにはない価値観を持つ者」として描かれる。これから社会に出ていく「戦後の女性」であるミサコとその両親は、あまりにも生きている世界が違うのだ。

そしてこの1952年の北浜には、大庭ほどには頭が回らなくても、大庭と同じように「金になるなら幽霊だって何だって利用してやる」と考える人間が山ほどいた。彼らはまんまと利用される側に回ることになるのだが……。

 

 

傍観者でありながら、見事に掌の上

続いては、箱山義一という男について述べていこう。箱山は鳥居弟が経営する新聞社の記者という立場でこの騒動に巻き込まれることになる、この物語を観客とともに俯瞰していく立場の登場人物である。箱山について、演じている木村了さんはパンフレットでこう話している。

箱山は、安部公房さん自身を投影しているような役だと思います。みんなが一方に傾いているときに、一人だけ違う視点を持ち、いわゆる俯瞰で判断している。ただ箱山がどの領域から俯瞰しているかを考え始めてしまうと、お芝居どころではなくなってしまうし、本番に間に合わない(笑)。そして(中略)その時点で本当に生きて言葉を紡いでいかないと、どんどん台詞だけが滑っていってしまう。だからみんなが生きている場所で箱山を立ち上げる、そういう手法を今取っていて。さらに役だけではなく僕自身も現場を俯瞰で見るようにしつつ、どこか遠くへ自分が飛んでいかないよう、気をつけたいと思っています。

(舞台「幽霊はここにいる」パンフレット 木村了さんインタビュー)

八嶋 でも、箱山の、結末を知って記録したいという歴史学者かというくらいのその視点は、重要なんだよね。お客さんにとっても。我々は物語の中で踊らされたりしているけれども、ファクターだけをきちんと追っていく箱山をずっと置いているということが、この作品の希望でもある気がするし。だから、稲葉さん(筆者注:今回の「幽霊はここにいる」を演出した演出家)も、箱山の位置を一番気にして、考えてますよね。

木村 それも稲葉さんと最初に話したんです。どの領域から俯瞰で見ているかって言うのは箱山のテーマだから、一緒に考えていきましょうと。あまり俯瞰しすぎると箱山だけどこかに飛んでいってわからなくなるし。基本的に、舞台上の枠から外れたところにいるんですけど、現在進行形で今も考えています。

八嶋 特に前半は、箱山は砂場にいなくて足腰が持っていかれることがないから、俺らは羨ましいです。な(と神山に)。

神山 な(笑)!

(舞台「幽霊はここにいる」パンフレット 鼎談)

気狂いじみた北浜の人々の輪の中に、箱山が入っていくことはない。彼はあくまで傍観者であり続け、常に幽霊の存在を疑ってかかっている。…のだが、その箱山が何故幽霊を信じていないのかというと、実は彼が正気を保てているからではないのかもしれない。

「箱山さんは結末のことを考えているだけよ」

これはミサコが箱山に言い捨てるセリフ。箱山は鳥居弟にクビにされて以降、反市長派の勢力と近づき、おそらく「幽霊など存在せず市長たちがデタラメばかり言っていることを証明してほしい」などと言われ(というのはセリフを基にした私の考察だが)、大庭や深川を追いかけ続けている。その中で、「深川」に見える「幽霊」の存在は信じていつつも「幽霊ビジネス」には懐疑的なミサコを取り込もうとしたのだが、こう言われて箱山は面食らってしまう。

続きの話をするために少し話が逸れる。実は私、この舞台の感想を仲良しのオタクが数名いる鍵垢で書き殴っており、その中の一人(神山担でないどころかWEST担でもない)が強く興味を示してくださったので、彼女のために一般再販チケットを取って観劇してもらった。何をしてるんですか?というツッコミは受け付けかねるが、彼女は私のようなひよっこオタクなんかより数段思想が強く(褒め言葉です)、また私がそれほど感想を垂れ流していなかった箱山の立場とこのミサコのセリフについておもしろい感想を伝えてくださったので、彼女に感謝しながらありがたくこの場で引用する。

幽霊ビジネスでもアイドルでも、「ない」ものを「ある」と思わせるビジネスモデルには実体がないから、各々が各々の中で勝手に物語を組み立てるわけだけど("小説"というわかりやすい形でそれが可視化されていた箱山だけじゃなくて、大庭や市長、鳥居なんかも。そしてミサコ自身も。それに関わる人びとはみな「深川」から聞いた断片的な情報と「深川」を通した実体など見えない幽霊の存在から、各々の中で"幽霊"という虚像と「深川」という男(虚像)の物語までもをつくりあげていた)「自分が信じようと思った情報」と「自分が信じようと思った存在」(=実像)の上に好き勝手に延長線を引いたり、生クリームを乗せてアラザンを散りばめたり、そういうことを繰り返して出来上がった虚像と物語に沿う思い通りの結末が欲しいだけだという点では、彼らを嘲笑し自分は彼らとは違うと一線を引いているようなことを言っていた箱山までもが、幽霊ビジネスに乗せられている人たち、「深川」を信じている人たちと同じ穴の狢だということを客席に突きつけてる台詞でエグい

思想が強くて助かる。ありがとうございます。

実は「アイドルビジネスは『ない』ものを『ある』と思わせるビジネスの極めつけみたいなもの」という考えも彼女が(私がこの舞台を観劇する数ヶ月前に)言及していて、私はこの舞台を観劇したことで彼女がそう言っていたのを思い出してさらにこねくり回してこのブログに書いているのだが、そんな彼女が観劇してこぼしてくれたこの感想も、なるほどなと思わせるものであった。

木村さんも言及している通り、箱山は北浜という場に在る人物の役なのだから、俯瞰しすぎて物語の文脈から逸脱した単なるストーリーテラーになってはならない。と同時に、傍観者でしか在り得ない観客と他の登場人物の間に立ち、「幽霊」の存在と幽霊ビジネスを疑わせる立場である必要がある。…と私は考えていたのだが、確かにその役割を果たしていつつも、箱山もまた「幽霊」が――いや「深川」が何をしでかしてくれるのか、権力者とは全く異なる形で期待して自分に都合の良い結末を望むようになったいち登場人物にすぎないのである、という彼女の説明もなるほど腑に落ちた。

 

また、パンフレットを引用したにもかかわらずここまで「砂場」に触れてこなかったことを反省したい。この舞台は床の真ん中が円形にくり抜かれていて、そこに砂が敷かれている。その砂場をぐるっと囲むカーテンのように紗幕があり、役者やアンサンブル、そこに紛れた裏方の皆様がその舞台を自在に操る。例えばヒカリ電気の入り口は上部に「ヒカリ電気」と書かれたフレームのような大道具がありそれを砂場に立てて砂ごと圧し固めることで立たせているのだが、四方八方からヒカリ電気にやってくる客や幽霊を迎えるためにその入り口ごとキャスト自身で動かしたりする。幽霊服のファッションショーの場面では砂の下からレッドカーペットが出現する。「幽霊」がミサコと結婚したいのにミサコが断固として受け入れないことに頭を抱えた権力者たちが犬かきのように砂を掘り返し(てそのレッドカーペットを隠そうとし)たりもする。そうした舞台演出の機構としての面もあれば、砂場に立つ登場人物の不安定さを見事に表現してもいる。箱山は中盤までその砂場の外にいることが多いという話を先ほどの鼎談で3人がされていた、ということである。かなりどうでもいいが、開演30分ほど前から砂が舞台に撒かれ整えられていく音が聞こえてきたのが懐かしい。演出面については最後にも話したいのでこれもまた後述。

 

 

「幽霊」と「深川啓介」と

ブログも後半に差し掛かってきた。文字がギチギチの上に堅苦しい言葉が多くてオタク各位には読みづらいかもしれないけれど、実は演劇をほんの少し齧っていた筆者の意地でこの舞台から感じ取れたことを最大限言語化したいと考えている(LUNGSのときは尻切れトンボになってしまった自覚がある)ので、もう少しご辛抱願いたい。

神山くんが演じていた「深川啓介」、もとい吉田の話をしよう。この役はラストシーンまで「深川」として扱われるので、これまで通りほとんどの場合では鍵括弧をつけて「『深川』」と表記する。

初見と2回目の観劇で最も大きく印象が変わったのがこの役だった。初見は「可哀想」に見えたのに、2回目以降は、もしかしたらこの男が最も狡猾で欲深いのではないかとすら考えるようになった。

 

「深川」は、少年を思わせるほどに純粋な目をしてその場に居た。「深川」が話すことには裏付けがなくても、ちょっぴり胡散臭くても、「彼が言うならそうなのか」と感じさせる何かがあった。大庭のような強さでも、ミサコのようなまっすぐさでもない。神山くんのファンとしての贔屓目を抜くことは不可能なので開き直るが、かわいかった。実際大庭も明らかに「深川」を可愛がっていた。「深川」が頭痛に苦しんでいたら「どうしたの~?」と猫撫で声をかけたくなるし、彼が「『幽霊』はここにいる」と言ったらもうそういうことにしてしまう。とても嘘を吐いているようには見えないから。

実際彼が嘘を吐いていたという決定打は最後までどこにも語られない。箱山でさえも(「あの可哀想な男の頭の中には」)「幽霊」がいると考えていたし、他の誰にも見えていなくても「深川」は「幽霊」と対話し、「幽霊」の考えを登場人物に伝えてくれていて、観客である私たちもそれを傍聴していた。

どんどん調子に乗って欲望を肥大化させていったのは「幽霊」であって「深川」ではない。

 

「君は、苦しまぎれに、頭の中で君とおれとを入れかえちまったんだな」

 

…あれ?

 

突然やってきた本物の深川啓介に「幽霊はここにいる(『幽霊』など最初からいない)」と言われることで、いつの間にか当たり前に思えてきていた前提条件が何もかも崩れ去る。「深川(吉田)」にも「幽霊」が見えなくなり、観客も思わず驚いてしまう。傍観している私たち観客も、「幽霊」が暴走したことですっかり「幽霊」がいることを疑わなくなっていたその矢先だから。

……ひとまず飲み込むしかない。「幽霊」が「深川」の幻覚であったことが頭に強制インプットされたが、その頭で冒頭から見返してみると、「この男、もしかしてとんでもなくずる賢いのでは…?」と思わざるを得なくなるのだ。

「大庭が『深川』を利用してビジネスに彼らを巻き込んだ」のではなく、「『深川』が大庭に利用されたことを利用してビジネスを無意識的に肥大化させ、欲望を実現させていた」と考えることはできないだろうか。私は2周目をそうやって楽しんだ。

 

「欲深い大庭に乗っかれば、名誉や富、そして素敵な女性(ミサコ)も手に入れられるかもしれない」と、「深川」がたくらんだとは考えられないだろうか。少なくとも「幽霊」はそう考えていたのだから、そして「幽霊」は「深川」の幻覚なのだから。

そう考えた「深川」が大庭を泳がせ、「幽霊」の代弁者として後援会発会式でスピーチをできるような力を得て、「幽霊」が暴走して後援会会長になりたいだの市長選に出るだのミサコと結婚したいだの言い出した、あくまで自分はそれを代弁しているだけだ!ということにして、「深川」自身はそんな欲望丸出しの「幽霊」に戸惑っているという設定にしたと考えれば? 「幽霊」が市長になったら、「幽霊」の野望(=自分の野望)を市政に反映することだって不可能じゃない。「幽霊」がミサコと結婚できれば、ミサコと直接対話できない「幽霊」の通訳として「深川」自身がミサコと一緒に居られる。もしそれらに失敗しても「幽霊」のせいにしてしまえば、「深川さんは悪くないよね」ということにできる。

 

…あまりにも救いのない考察だが、「深川」がこうして考えるのがすべて無意識下のことだとすれば、あながち間違いではないとも思える。そう考えるに至ったのには、ラストシーンのとある「深川」のセリフが大きく影響している。

 

「畜生」

 

本物の深川啓介がやってきてネタバラシをされたことで、「深川」に見える「幽霊」を中心に行っていたビジネスが、完璧に近かったビジネスが、砂の如く全て崩れ去った。もし完全に「幽霊」と「深川」は完全に別人格で考えることもまるきり違って、「深川」が「幽霊」の暴走っぷりを本当にあくどいと感じていたとすれば、本物の深川啓介、つまり「深川(吉田)」の戦友に生きて会えたことにまず感動しないだろうか? 感動の再会の場面で「畜生」という言葉は出てくるだろうか?

戦友を死なせた(まあそれも勘違いだったわけだが)罪の意識から「幽霊」という幻覚が見えるようになったのは、少なくとも「深川」にとって事実だろう。その意識から「『幽霊』を連れて帰ろう」、「戦友の家の人に信じてもらえなかったことで『幽霊』の身元が分からなくなったらその証拠を探そう」と考えたのも、欲望ではなく純粋な願いだったのだろう。「鏡を見ると頭痛がする」という性質も、頭の中で考えることと見えるものが一致しないことへの苦しみからそうなっているのだろう。戦争に適応できるほど心が冷徹ではなかったせいでそういった苦しみを抱えたのは嘘ではないと私も考えている。

 

「まあそれが、深川氏のいつわらざる内心の声なんだろ。金と結びつきゃ、なんだって現実になっちまうからなあ」

 

けれど、欲望の塊のような人間である大庭と出会い、実際に幽霊ビジネスでお金を稼げて力も得られることに味をしめ、内なる欲望が「幽霊」という幻覚と結びついてどんどん肥大化し、(アスピリンの過剰摂取による幻覚症状の深刻化も相まって)物語の終盤ではほとんどそうした欲望に乗っ取られてしまっていた……と私は考察する。それらが本物の深川啓介なる人間の登場によってすべて土に──砂に還ったとき「畜生」という言葉が「深川」の口からこぼれてきたのは、そうした欲望(「幽霊」)に乗っ取られていたことの証左。

実際に良心の呵責で苦しんでいた(ことが殴られる幻覚、さらなる頭痛に結びついていた)のも嘘ではないだろうから、本物の深川啓介がすべてから「深川(吉田)」を解放させたことは、少なくとも彼の身体にとっては間違いなく良いことだったし、実際彼は「畜生」という「幽霊」の捨てゼリフを最後に吹っ切れていたようだった。

「幽霊がいる」という話はファンタジー性が強いが、「幽霊が見える人がいる」という話は一気に現実性を帯びる。この3時間の舞台において最後の最後まで「幽霊」役を演じる人間を立たせなかったのはそういう意図があると私は考える。この物語は決してファンタジーではない。

 

 

2022年にこの作品をアイドル主演で上演する

これまで3人の登場人物にフォーカスしてブログを進めてきたが、最後に誰にフォーカスするかと問われれば、「稲葉賀恵さん」と答える他ない。既に何度か言及しているが、この舞台「幽霊はここにいる」を企画段階から立ち上げた演出の方である。読売演劇大賞優秀演出家賞受賞おめでとうございます!今から全くもって頓珍漢かもしれないことを言いますが、違ったら「違うよ!」と言ってください(言われない)。

 

私は神山くんが発する言葉がとても好きで、彼が舞台に出演するときにインタビューを受けている雑誌はほとんどすべて買うのだけれど、稲葉さんとの対談が載っているステージスクエアがとても興味深かった。

稲葉 それと、私の場合"死んだ人間を忘れない"というテーマが、作品を選ぶ時の指針になっているんです。

(中略)

稲葉 私は20代のころに、昔の戯曲を上演する=この人たちの記憶を再現する行為なんだなと実感したことがあるんです。つまり俳優は、死んだ人をそこで再生させるイタコのような存在なんだな、すごいなって。そうだとしたら演劇って、すごく"忘れないでいられる芸術"のような気がして。そういうこともあって、若い人たちにぜひ観て欲しくて、この作品を選びました。

神山 なるほど。

稲葉 もうひとつ、この戯曲に書かれている、見えないものを信じることの奇妙や、資本主義の神髄みたいなことが、実体のない仮想空間とかキャラクターがどんどん受け入れられている今に、すごく繋がっているところにも惹かれました。

(日之出出版「ステージスクエア vol.59」36-37ページ)

神山くんがワンピースについて話してるところをバッサリ中略してごめん。

「見えないものを信じることの奇妙や、資本主義の神髄みたいなことが、実体のない仮想空間とかキャラクターがどんどん受け入れられている今に、すごく繋がっているところ」については大庭に関するブロックで概ね触れたことだが(この後も別に触れます)、前半の「演劇って、すごく"忘れないでいられる芸術"」という言葉。この舞台のコピーに「『死者』と『生者』のカーニバル」というものがあるが、夥しい数の死者の上にこの舞台が成り立っていることに着目したいという演出意図の根源のようにも感じる。彼女はこの作品を完全なファンタジーとして現代社会から切り離すのではなく、ドキュメンタリーとして描きたかったのではないかと思うのだ。もちろんすべて安部公房氏の頭の中で創造された架空の物語であることは間違いないのだが。幽霊を信じるか信じないかはあなた次第だとしても、「幽霊が見えると言う人間がいる」ことは、その人間が胡散臭かろうが精神疾患を患っていようが事実として飲み込まざるを得ない。人間が考える感情豊かな生物である限りこの物語と同じことが現実に起こる可能性は存在する。というか、似たようなことは既に数えきれないほど巻き起こっている。

「しかし、彼の幽霊なんか、まだまだ素朴で、可愛らしいほうじゃないのかい?……世間には、そりゃいろいろな幽霊がいるからねえ……本当だよ……人間の命に係わる薬が、原価の十倍もの値段で売られているのは、どう考えてもおかしな話だし、それよりも、ガラスより役に立たない宝石が、ぼくの月給より高い値段で売られているのはもっとおかしい……要するに全部が全部幽霊みたいなものじゃないか……」

これは初演時の脚本にのみあった箱山のセリフである。再演時(1970年)には一部改稿されており、その際の脚本と2022年に上演されたこの舞台のこの部分は「それよりも」以下のセリフがごっそり削除されている。八嶋さんはこうした安部公房氏が行ったセリフの削除に対して、先述の鼎談の中で「それは、台詞で説明しなくても役者の表現で大丈夫だと思ってくれた証拠ですから」と話しているが、まさにそういうこと(役者の表現への期待)だと私も考える。同時に、セリフで説明しなくても観客がそう受け取ってくれるだろうとも思ってくれた証拠(観客の理解力と創造力="観る力"への期待)だとも思う。だから精一杯考えてこうして文章にしたいのだ…!

「全部が全部幽霊みたいなものじゃないか」という箱山の嘆きは、この約70年でどうしようもなく加速している。先ほども話したがアイドルなんてその代表格みたいなものだし、極端なことを言えばホストだとかVtuberとかも多分そうだ(詳しくないのでこれらへの言及はできかねる)。この世界で「娯楽」にカテゴライズされる可能性のあるものはほとんど幽霊ビジネスと同じ構造だし、なんなら食品にだってテーマパーク価格みたいなものがあったりする。目に見えるものであろうとそうでなかろうと、現代人は「それにその値段を払う価値を感じるか」を無意識に判断する行為を無限に繰り返しているのだ。この作品を、2022年に、渋谷のど真ん中に位置するPARCO劇場で、アイドルという職業を全うする神山智洋さんに主演させて、彼のファンをはじめとする若者たちに見せることで、あまりにも無意識にそうしてきた現代人にそれを「気付かせたい」と稲葉賀恵さんが考えた……のではないかと私は感じたわけだ。夢のない話をしてしまえばアイドル事務所最大手のタレントを起用すればある程度の集客は間違いなく見込めるし、そうした(普段演劇を観ないような)(アイドルのファンをしている若い女性がほとんどの)客層だからこそ観客に訴えかけたいと思うようなものもきっとある。アイドルが舞台に立つことに未だに眉を顰める人も多いが、この作品を2022年に持ってくる上では、大都会の中心でアイドルに演じさせアイドルのファンに見せることに大きな意味があるのではないかと思う。そこに白羽の矢が立った神山くんはすごいし(急に貧弱になる語彙)、神山くんのファンである私たちも期待をされたわけなので全身全霊で観劇してこの舞台が伝えんとしているものを汲み取りたいのだ。「LUNGS」といい「幽霊はここにいる」といい、神山担は難題ばかり与えられている気がする。

 

先ほど「私にとって神山くんは存在するけど幽霊みたいなもの」みたいなことを抜かしたが(概要それなんですか?)、貨幣でものとサービスを売買する経済社会が破滅でもしない限り、この世界に「絶対に幽霊ではないもの」は存在しないとすら言えると思っている。幽霊ではなくとも幽霊なのである。幽霊はここにいるどころかどこにでもいるし、それは成仏し損ねた半透明の亡者のかたちをしているとは限らない。私が好んで飲んでいるド○ールのココアだって幽霊と言ってしまえば幽霊なのである。家でココアパウダーをお湯に溶かせば10分の1以下のコストで飲めてしまうわけだし。今ココアの例を挙げたのはココアを飲みながらブログを書いているからだが、もう例を挙げるとキリがなさすぎる。

そんな世界で私はこのド○ールのココアの甘さと優しさに1杯400円の価値を感じて注文しているし、神山くんというアイドルに対してはこれまで彼の関わるコンテンツにウン十万とお金を出してきたが(これはオタクとしては謙遜抜きにまだまだである)、すべてそうするだけの、なんならそれ以上の価値を感じているからそうしているだけだ。この世に幽霊じゃないものなんて存在しないんだから、私は私が価値を感じるものにお金を払って私が信じるものを信じる。何も信じられないかもしれないこの時代に、私は、神山くんというアイドルを信じるのです。某雑誌のコピーをもじっていい感じにまとめたみたいな雰囲気を出すな。

……というのがアイドルのファンがこの舞台を観劇して考えたことですが、いかがでしょうか。

 

最後に。

最後の最後のワンシーン、他の登場人物が紗幕の奥で崩れていく中で舞台が赤く染まり武器を想起させる効果音が流れ、変わらず薄汚れた国民服のような服装で「深川(吉田)」が一人、何かに怯えたような顔をして歩いてくる演出がある。これは原作にはない演出で、おそらく稲葉賀恵さんがオリジナルでつけたものだと思われるが、この舞台を観劇した方はこのシーンをどう捉えただろうか。

「この物語そのものが『深川(吉田)』の幻覚または夢想で、本当はまだ第二次世界大戦中」?だとしたらもっと「深川」にとって都合の良い展開になっていい気がする。

私はこのシーンにこそ、2022年にこの作品を上演する意味があると捉えた。

戦争はもはや遠い世界線のものでも歴史上の事実でもなく、たった一つ海を越えた先でまさに今起こっている。この"ドキュメンタリー(仮)"で描かれたようなことが世界のどこかで実際に起ころうとしているかもしれない。平和からかけ離れた空間で追い詰められて幻覚を見る人間が出てきて、そうした空気により多くの人間が踊らされる事態に直面したとき、あなた(観客)はどうしますか? という問いかけなのではないか。

この登場人物のように振る舞うのがいい、という正解や最適解はない。強いて言うなら、ミサコのようにまっすぐに生きて譲れないものを持ち、箱山のように事態を冷静に見渡し、大庭夫妻のように世の中を乗り切っていくことだろうか……極限状態でそんなことができれば苦労はしないが。

このシーンについてはかなり解釈が分かれると感じたのであえてこれまでの文章では触れずにここでだけ言及することにした。異議があればどうぞ聞かせてください。あなたの解釈を私も聞きたいです。

 

 

あまりにも長ったらしくいろいろと書きたいことを書きたいだけ書いてしまったが、本筋と関連しない感想はたくさんある。かわいかったとか。アドリブでファンを喜ばせてくれてありがとうございましたとか。唐突に自担がキレよく踊り出して嬉しいながらもびっくりしましたとか。そのダンスシーンは原作にはなかったから神山くんの技量を見て稲葉さんが入れてくださったのかな、そうだとしたら私まで嬉しいなとか。八嶋さん(大庭)も日に日に神山くん(「深川」)に対するかわいがり方に拍車がかかってましたよねとか。モデル嬢役のまりゑさんの立ち振る舞い方が(アンサンブルとしていたときも含めて)とても好きだったので春に出られるミュージカルもぜひ観劇したいですとか。

また、この舞台を数年後の私が思い返したらまるで違ったことを感じるかもしれない。そのときのためにもこの文章は残しておきたいし、そういえばこんなところがあったよね、という話はちょこちょこTwitterで呟いていきたい。幽霊に囲まれて生きていることを自覚しながら、幽霊に怯えず幽霊とうまくやっていきたいものです。

この作品を死ぬまでに、またアイドルとエンターテインメントを好きでいられる間に観ることができたことは私にとって間違いなく貴重な経験になりました。神山くんを好きでいるからこそ出会える作品は深く考えさせられるものばかりで、同時に私という人間及び観客がまだまだまだまだ未熟であると観劇の度に感じます。何事にも全身全霊で向き合う神山くんに恥じないくらい、私も全身全霊であなたの見せてくれる作品を咀嚼したい所存です! 2023年以降も神山くんが素敵なエンターテインメントに恵まれますように。そのときはなんとしてでも観に行きますので。

千穐楽から3週間も経ってしまいましたが、これが私なりの「幽霊はここにいる」ブログです。ちょうど20000字になりそうなのでこの辺りでドロン。素敵な舞台を見せてくださって、出会わせてくださって本当にありがとうございました!

【再掲】We are WEST!!!!!!!とヒメユリの誇り

この文章は、私が所有する別のアカウントで掲載していた文章を再掲したものです。

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ジャニーズWEST LIVE TOUR 2022 Mixed Juice(忠実な表記)、いよいよもうすぐですね!このブログを書いている今はまだアルバム発売前ですが、筆者は現在JストYouTubeチャンネルの公式リストを毎朝のメイクのBGMにしています。元気が出ます。
それほど楽しみにしているアルバムとツアー!私もなんとかチケ運強すぎお姉様に引っ付いて1公演入れる予定であります…本当に楽しみ………
アルバムリード曲の「Mixed Juice」はもちろん、「しらんけど」も「涙腺」も「セラヴィ」も「努力賞」も、全曲アホほど好きです。個人的暫定1位は「ブルームーン」です。ブルームーンの解釈ブログ絶対書く…書きたいブログテーマが多すぎる………
 
 
でも私はこれから2018年リリースの曲についてのはてなブログを書きます。嘘でしょ?この時期にWESTV!収録曲についてのブログって何?
 
 
 
話は2022年3月1日に遡ります。
アルバム全曲を超楽しみにしていたオタクのもとに、一通のFCメールが届きました。
 
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ジャニーズWEST LIVE TOUR 2022 Mixed Juice
    コール&レスポンス募集!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いつもジャニーズWESTを応援いただきましてありがとうございます。
 
本公演では皆さまからのコール&レスポンスを募集いたします!
お送りいただきました音声は「ジャニーズWEST LIVE TOUR 2022 Mixed Juice」の公演内で使用させていただきます。
 
(中略)
 
たくさんのご応募、お待ちしております!

 

 

 

ここまでで「知らんのか〜い🎶」(先述のアルバム収録曲「しらんけど」に入っているフレーズ)だと思ったオタク、大人しく手を挙げてほしい。私もです。
 
「知らんのか~い🎶」、綺麗に出せるかな………とかいう銀河で一番の杞憂をしながらメールに添付されたジャニーズネットのリンクをタップしたところ↓

www.johnnys-net.jp

 

 

「We are WEST!!!!!!! コール&レスポンス募集」

 

 

 

 

 

We are WEST!!!!!!! コール&レスポンス募集!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

 

 

 

 

私、このメールを見たときにはバイト先の休憩室にいたのでもちろんこの勢いで声に出して読むことはできなかったけれど、たぶん家だったらこのサイズで復唱してた。

 

「We are WEST!!!!!!!」は、2018年冬発売のジャニーズWEST5枚目のアルバム「WESTV!」に収録されている曲である。そのWaWがジャニーズWESTの有観客ライブに帰ってきたことが、もう信じられないくらい嬉しかった。っていうかこのサイトを通してWaWの音源が世界に解き放たれちゃってんじゃん…サイコーかよ……

私は2019年、実質ビグショ出の新規オタクなので(ビグショ出のオタクがWaWブログ書いてるんですか?)、このC&Rに自分が参加できるという事実に感動したんですよ。2020年のJohnny’s World Happy LIVE with YOUでも披露はされていたけれど、ファンの声が彼らに届くことはなかったので。もちろん画面の向こう側でクソデカボイスでC&Rやって母親にドン引きされましたが。

「WaWは間違いなくWESTライブの定番曲になる」と信じ、いつか現場でこのコール&レスポンスができる日を夢見て、何度も曲を聴いて練習をしていた私がやっと彼らに声を届けられる。

 

 

…まあここまで気合が入っていればヒトカラして録音するのも自然だよね(?)

1時間カラオケルームに滞在し、WESTの曲縛りで腹から声を出す準備運動(歌唱)をしてから、思い切って録音に臨みました。久々にカラオケ行ったのでKNOCK OUTとか初めて歌った。巧拙は置いておいてたのしかったですそれも。

ハイテンションで録り終わった後に、家に帰ってちょっと冷静になって「確認もしていない音声を公式に送り付けるわけには…」と自分のレスポンスだけが入った音声を再生して「これは新手の拷問かな?」と思ったけど、無事送信しました。えへ…この声が届くかもしれないんだ…コロナで先ほどの夢も半ば諦めていたけど、この形でも彼らにファンの声が届くの、改めて嬉しいな…

 

 

 

 

さて。ここまでは前書きです(例によって長い)。

 

私は神山くんの誕生日や入所記念日ツイにも度々WaWの歌詞を引用したり、隠しきれないWaWへの激重感情を連投することがある。神山担だから、神山くんの作った曲はどれも神山くんらしさが爆発していてとっても好きなんだけど、神山くんが単独で作詞作曲した曲の中では、ダンッッッッッッットツでWe are WEST!!!!!!!が大好き。こんなブログを書き始めるくらいには。

 

なぜここまでWe are WEST!!!!!!!が好きなのか。実は私、We are WEST!!!!!!!への想いが詰まったラブレターもどきの拙文を2020年7月に一人でこっそりしたためていたのですが、当時は受験生だったので(受験生が長文したためるな)ブログをアップする…なんてことはできずタイミングを逃し。2022年、WaWがセトリ入りほぼ確定した今、(大幅な加筆修正をしつつ)世に出しちゃおうかなと思い立ちました。

 

 

 

 

2020年6月27日。だったと思う。(証拠が発売されたその週末だった記憶がある)

24日に発売されたばかりのシングル「証拠」のコンテンツを一通り楽しんだ私は、22日に買って放置していたMyojo8月号を開いた。目当てはジャニーズWESTの表紙と、「夢対談セレクション」のオカダイキ頂上決戦の再録だった。2017年3月号を持っているのに再録も欲しかったのだ。

全体の半分ほどをサラッと読んだところで、「10000字ロングインタビュー特別編 読者の心に響いた言葉たち」というコーナーを発見した。

めくって114ページ。真ん中あたりに、神山くんの発言を見つけた。

 

 

「逆境も理不尽もいくらでもあったよ。ぶっちゃけ。

でも、あきらめたら、そこで止まってしまう。

夢ってラクしては近づけないし、かなわない。

自分で1歩ずつ近づいて行くのが、

俺は夢への最短距離だと思う」

神山智洋(2018年8月号)

 

 

ハア~~~さすが自担、マジでどこまでもまっすぐなお方だ………と天を仰ぎ数秒後、私は気づいた。

 

 

これ、どっかで聞いたことあるな??????? 

 

 

答えはすぐに出た。ちょうど数日前(18日)のHappy LIVEで披露されていたからよく覚えていたのだ。

それが他でもない「We are WEST!!!!!!!」のCメロである。

改めて紹介するが、「We are WEST!!!!!!!」とは2018年12月に発売されたアルバム「WESTV!」のM1。イントロでメンバーの名前をファンが叫びメンバーが応答するなどコール&レスポンスが多く、また1番の歌詞には各メンバーの誕生花の花言葉やファンネームでもあるジャスミン花言葉が散りばめられている。この曲、我が自担・神山智洋さん書き下ろしである。

 

C&Rの多さはまず最初、1番に入る前のイントロ部分の歌詞を見てほしい。

(しげー!!) はぁーい!!

(あきとー!!) はいさい!!

(じゅんたー!!) あいよー!!

(かみちゃーん!!) はいはーい!!

(りゅーせー!!) えっ!?

(はまちゃーん!!) あぃぃぃいー!!

(のんちゃーん!!) うぃっす!!

ジャニーズWEST!!

We are WEST!!!!!!!

S!! K!! N!! K!! F!! H!! K!! WEST!!

下線を引いた部分がファンの歌パート(ファンの歌パート?)だ。ファンは限界まで高い声を出し7人の名前を叫び、彼らがそれに応えてくれる。「S!! K!! N!! K!! F!! H!! K!!」は彼らの苗字のイニシャルである。「WEST!!」も含め、全てエ段の音で始まると気づいた神山くんがこれを採用。これをスマホのパスワードにしていたオタクは震えたそうな。

もうこの時点でブチ上がる。文字で見るより実際に歌ってみてほしい。楽しいから。私、いつもは「神山くん」呼びを貫いているけれど、ここでだけは「かみちゃーん‼」とバカデカボイスで叫ぼうと決めている。

ちなみにこれ全部神山くんがデモの歌声入れたんですよ。ファンパートも裏声で。他メンのレスポンスもモノマネして。もうわかるじゃん、この人ジャニーズWEST大好きだな。

 

1番の歌詞はこう。

浪速の魂かかげ参上

誇りを胸に暴れまわって

(なんでやねん!! どないやねん!!)

希望のつぼみ開いていく

輝く太陽に憧れ

めっちゃ個性的なアホが集った

(ボケて!! ツッコンで!!)

がむしゃらに咲き乱れる

困難でも (はい!!) 信念が (はい!!)

俺ら突き (はい!!) 動かす

純粋な心で (気張って!! 行こうぜ!!)

さぁここから 空の彼方へ

 

飛べ!! (Hey!!) 叫べ!! (Hey!!) 心揺さぶれ!! (Hey!!)

踊れ!! (Hey!!) 騒げ!! (Hey!!) 夢の世界へ!!

(あ~もう腕疲れたぁ)

なんてまだ序の口ここから限界突破さ

飛べ!! (Hey!!) 叫べ!! (Hey!!) 高く舞い上がれ!! (Hey!!)

踊れ!! (Hey!!) 騒げ!! (Hey!!) 次のStageへ!! (Hey!!)

かけがえない楽しい思い出積み重ね

届けHappiness

歌詞をちゃんと見るのは初めてという人もいるかもしれないので注釈しておくが、これらのエクスクラメーションマークは私が勝手に打ったものではない。オフィシャルでこれである。まあ神山くん日頃からブログでも「!」多用するしな。

色の付いた文字はそれぞれの誕生花の花言葉だ。7/1神山くんのヒメユリ、8/18流星くんのトルコキキョウ、8/31照史くんの黄色いヒマワリ、10/21淳太くんのバンダ、8/26重岡くんのムクゲ、12/19濵ちゃんのスノーフレーク、7/30小瀧くんのニチニチソウ。さらにいえば最後の太字「Happiness=幸せ」は、ファンネームでもあるジャスミン花言葉。花を題材にしているからこそ「がむしゃらに咲き乱れる」というワードが出てくる。神山くん、がむしゃら(我武者羅)って言葉も好きよね~。

(なんでやねん!! どないやねん!!)」は、言わずもがな「ひとつひとまず『なんでやねん!』 ふたつふたりで『どないやねん!』」のそれですね。(私しかこの説提唱してない)

もう一回言っとこうかな、この人ジャニーズWEST大好きだな。

 

 

………おい、いろいろ伝えられたけど一回待ってくれ、それはもはやプロの仕事やないか‼とツッコミすら入れたい気持ちはとてもよくわかる。ちなみに彼は、2022年3月の時点で、(当時の)関西ジャニーズJr.への提供や共作を含めて、「Evoke」「Game of Love」「Survival」「ANS」「Stray dogs.」「グッ!!とあふたぬ~ん」「KNOCK OUT」「Tomorrow」「Contrails」を作詞作曲している。ゴリゴリEDM・力強いロック・感動的なバラード・午後を笑顔で送るための応援歌などなど、彼が書く曲のジャンルは多岐にわたっている。「ブログ更新より新曲書き下ろしのほうが頻度が高い」とまでまことしやかに囁かれている我らがセンター重岡大毅さんとこの神山くんが、ジャニーズWESTの音楽面を引っ張っていると言っても過言ではない。

 

神山くんの作る曲は全て好きだ。しかし、当時の私はその中でも「ANS」と「Survival」が別格で大好きだった。神山くんの、WESTの決意表明のように聞こえたから。もちろんWe are WEST!!!!!!!も大好きだったけれど、そんなに強い思いはまだ抱いておらず、「爽やかなポップスで楽しいな、いつか現場でC&Rやりたいな~」くらいだった。その頃はいちいち解釈を巡らす面倒オタクではまだなかったので。「とにかく楽しい」と思わせる曲を作れるのはそれはそれで凄いことなんですよ。

 

そんなWaWのCメロ(2番終わりのラップの後をCメロだと思っている)部分の歌詞は、これだ。

 

 

逆境も (ばっちこーい!!)

理不尽も (ばっちこーい!!)

抱いていく大きな夢は (Fu!! Fu!!)

まだこれから (どんどん!!)

増えてくから (頑張れ!!)

風に吹かれても (Go!!)

雨に濡れても (Go!!)

進め一歩でも (Go!!)

描く道のその (Go!!) 先を Wow

さぁ咲き誇れ

 

 

 

さっきの10000字インタビューの言葉を思い出してほしい。同義だから。

 

「同義」は言いすぎだろうか。でもこじつけではないとは思うんだ。

「逆境」「理不尽」「夢」「一歩」これらのワードが"偶然"、神山くんの10000字インタビューにも神山くんの詞にも入ることがあるだろうか?

 

ない頭を絞って考えた可能性のある選択肢は3つ。

 

 

 

①ただの偶然

これじゃブログが終わってしまうだろ!!!!!!! この線が濃いと思っていたらブログなんて書かねえ。却下です却下。もうちょっと論理的に却下したいんだが…つい感情的に………

 

 

②WaWを作詞した後の神山くんが、その表現を気に入って10000字インタビューでも使った

「(WESTV!の前のツアーである)WESTivalのオーラス翌日から作り始めた」と神山くんが話していたし、We are WEST!!!!!!!の制作時期と10000字インタビューの取材時期は確かにほぼ一致するといえるだろう。

でもね~~~たぶんね~~~違うと思うんだ~~~… これにはさっきよりはまともな(ものだと思ってる)却下ができるかもしれない。少なくともWe are WEST!!!!!!!の歌詞や10000字インタビューに、2018年付近でしか彼が発してなかったような言葉は見当たらないのだ。新規でもわかる、どこもかしこも神山智洋節が炸裂している(個人の意見です)。これは次の項目で触れます。

 

 

③神山くんの「誇り」が、両方に滲み出ている。

………。

クサい。

非常にクサい。自分で打っていて思想の強さに引いている。

でも私は割と真剣に、これだと思っている。なんなら神山くんが作詞作曲に関わった曲全部に、10000字インタビューと通ずる要素があるとすら感じているのだ。(EvokeやGoLはカッコよさに全振りしてるしグッ!!~はコンセプトが強いけれど)

 

「あなた、これを言いたかったからブログ書いてるんでしょ?」と皆さんもう察しがついているでしょう。そうです。私は構成を諦めるんじゃないよ。

 

 

Myojoの10000字インタビューは、ジャニーズタレントについて、私が知っている中で最も充実したテキストである。これに関しては若手~中堅のジャニタレのオタクの多くの意見が一致するだろう。10000字インタビューのタレントの言葉はアツい。Jr時代の葛藤だったり、デビュー秘話だったり、数年経って脂の乗ってきた彼らの「本音」だったり、面と向かっては言えない仲間への気持ちだったり。私は自担のグループでなくても、買ったMyojoに10000字インタビューが載っていたらつい読んでしまう。

アイドルが発する「本音」が、どれだけ一個人としての彼らの本音に近いものなのか、私には分からない。雑誌なんてライターのいいように書かれているだけかもしれない。テレビやラジオだって、何かにとって都合の悪いことはすっ飛ばされているかも。そもそも彼らが家から1歩出るときに何重にも鎧を身につけているのだし、その鎧は、形は違えど、社会に生きる人間ならみんな持っているものだ。

でも、職業アイドルの彼らが、「本音」として世に出した言葉を私たちは信じるしかないのだ。それは本音ではないかもしれない。本音とは似て非なるその言葉を、じゃあ何と呼べばいいのだろうか。

アイドルとしての神山くんが発する言葉を、私は彼の「誇り」と呼ぶことにした。

 

誇り。

7月1日生まれの神山くんの誕生花であるヒメユリの花言葉だ。

 

 

ほこり【誇り】

誇ること。名誉に感じること。また、その心。「一家の―」「―を傷つけられる」

出典:デジタル大辞泉

 

「誇り」を国語辞典で調べたらあまり充実した内容が出てこなかったので、「誇り」の英訳である単語「pride」を英英辞典で調べることにした。

 

pride

1. a feeling of deep pleasure or satisfaction derived from one's own achievements, the achievenents of one's close assosiates, or from qualities or possessions that are widely admired:

    a person or thing which arouses a feeling of deep pleasure or satisfaciton:

2. consciousness of one's dignity:

    the quality of having an excessly high opinion of oneself or one's importance:

出典:Oxford Dictionary of English

 

1の文にもうならざるを得ないが、私はこれから「誇り」という言葉を2の意味で使っていきたい。「consciousness of one's dignity」「自分の品位への自覚」。自分の品位への自覚ですってよ皆さん………

神山くんの本音はどこを探してもきっと見つけられないが、神山くんの誇りなら至る所で神山くんが示しているじゃないか。そう、ちょうどこのインタビューと歌詞が教えてくれているように。

 

他のテキストや歌詞でも、神山くんの誇りはバシバシに感じられる。というか、神山くんって常日頃から「神山くんらしさ」をあまりにも意識的に貫き通していると思う。ブレない。ブレなさすぎる。変化はあってもブレはない。停滞もしていない。ひたすらにまっすぐに進んでいるアイドルだと、私は認識している。

皆さん、胃がもたれてきました?()

 

 

まず、先ほどもちらっと触れたが、神山くんは「逆境」という言葉をわりと大事なところでよく使う。神山くんが書いた別の曲「Survival」(熱いロックサウンドに乗った力強い決意表明ソング)についての彼のブログでも「逆境上等」と言っていたし、コロナでライブが中止になったときも「逆境に燃える男達で構成されておりますジャニーズWEST」と言っていた。

 

あと「」という言葉も彼は大好きだ。

www.instagram.com

 

神山担、2021年のバレンタインデーに絶対「出た〜!」って言った。この「ありがとう」の平仮名で「」を描くやつ、結構な頻度で神山くんは使っているのだ。

 

神山くんの書く歌詞でも「」というワードが出てくる。例えばSurvivalのラスサビ、「にしがみつけ」という歌詞。 

あとこれはさっき気づいたんだけど()、Mixed Juiceに収録される神山くん書き下ろし曲「Contrails」のサビも「高らかにを謳おうぜ」から始まっている。Bメロ後半からサビ終わりまで聴けるリンクはこちら↓

www.youtube.com

ちなみにこの動画では聴けない、Bメロ前半の小瀧くんのパートが「意地とかプライドとか重たい荷物背負ってるんだ」なんですよね…。プライド…誇り…「そんなもの捨てちまえ」という言葉ではなく、それらを背負っていることに対してむしろ誇らしく思っているかのような言いまわし………

 

もういい加減お分かりいただけたと思う。We are WEST!!!!!!!と10000字インタビューに共通するフレーズ、ただ2018年にポッと神山くんのもとに降って湧いたものではないだろうよと私が主張していることを。

 

 

先ほどもちょろっと言ったけれど、私の印象だけで語らせてもらうと、神山くんってびっくりするほどまっすぐなのだ。欲望や信念、誇りといった彼のベースの部分は揺るがず、異なる解釈をされることはありながらも、根本的なものはいつも変わらず彼が示してくれている。

私のこの一連の気づきは、それが私の中で確信に変わったきっかけだった。(もちろんあくまで「私の中で」です。これは偏ったオタクによる偏った思想です)

自分の曲で自分の誇りを示すアイドルって、すごくかっこいい。

 

 

私が神山くんの10000字インタビューに触れたのは2020年8月号の特集による抜粋なので(だからこそWaWと一致する部分があることに気付けたとも言えるけれど)、先ほど引用した5行のみだが、テキスト厨私は我慢できずロングインタビュー全体をポチった。

そこには以下のように続いている。

 

「もちろん、俺ひとりで乗り越えたんじゃない。誰ひとり欠けず、この7人やから俺もここまでがんばれてんだなって、今は思う。いっしょに戦場をくぐりぬけてきたメンバーやからこそ、もっと、もっといい関係に、いいグループになりたいって思うしね」

 

3回目なのでそろそろ皆さんにも一緒に言ってもらいたい。この人ジャニーズWEST大好きだな。

 

 

We are WEST!!!!!!!の歌詞に直接このような思いが綴られているわけではないが、2018年12月、WESTV!の宣伝としてジャニーズWEST7人でZIP!にVTR出演し、WaWについて訊かれたとき、神山くんはこう言った。

 

神山くん「メンバー全員の誕生花の花言葉を歌詞に入れてみたりとか」

女子アナ「すごい! メンバー愛も伝わって…」

神山くん「だって大好きですから。」

 

あま~い!!!!!!!と私の中の井戸田潤が叫ばずにはいられなかった。朝の情報番組でここまでド直球に仲間への愛をぶっちゃけられる人間、そう多くない。あまりにまっすぐな神山くんの言葉にメンバーが照れる画、ジャニーズWESTのオタクなら71億回は見た。

4回目。この人ジャニーズWEST大好きだな。

 

 

 

 

 

 

そろそろ締めたいな、と思ったところで気が付いた。私はこの文章を、WEST担の皆さんのC&R録音を促進するブログとして世に出しています。それが気づいたらただただ神山くんを偏った方向からホメチギるブログになっていたな。神山担なので大目に見てください(?)

 

私の文章に胃もたれした方も、なるほどな~と思った方も、権限のある方(WESTのFC会員)はとりあえずこのページに飛んで、歌詞見て、赤字のとこ叫んだデータ録音して、FCログインしてぶち込んでほしい。私が何を言おうと、この曲が楽しいことは保証されてるから。

権限のない方もとりあえずこのページに飛んで、歌詞見て、曲聴いて楽しんでほしい。楽しいことは保証されてるから。

 

とりあえずこれ見て!!!!!!!言いたいことはそれだけだ!!!!!!!頼む!!!!!!!

www.johnnys-net.jp

ふだんたっっっっっっっくさんのものをジャニーズWESTから受け取っている私たちが、彼らに届けられるのはこの歓声。彼らを大好きな気持ちを込めて、いっちょ歌ってみませんか。

 

こんな長ったらしい文章を最後までお読みくださって…それだけでありがたいのですが、どうかこのリンクをタップしていただけると……………。もちろん怪しいサイトではないので(Johnny's netなのでそれはそう)

コール&レスポンス送付期限は3月8日、Mixed Juiceフラゲ日の23:59までです!お忘れなきよう!

このJohnny's netのページも早いとこ見られなくなってしまうかもなので是非お早めにどうぞ!

【再掲】非対称なふたりのおはなし。~舞台「LUNGS」に寄せて~

この文章は、私が所有する別のアカウントで2021年12月31日に掲載した文章を再掲したものです。

 

―――――――

 

先日、担当しているアイドル・ジャニーズWEST神山智洋さん主演の舞台「LUNGS」を、東京グローブ座にて観劇してきました。4ヶ月ぶりのグローブ座、たのしかった〜!今回はご縁に恵まれて3週間弱の東京公演のうち4回観劇することができたので、高2までの毎週のように観劇をしていた頃を思い出しました。やっぱり観劇という行為が好きだなあ。
というわけで、LUNGSのネタバレ込み込み感想と、そこから自分が考えたことをまとめていこうと思います。


………とは言ったけど、この舞台を綺麗な言葉でまとめるの無理じゃね?????(放棄)

「放棄すな」「放棄するならブログを立てるな」等のお叱りの言葉が飛んで来そうですね。ご最もなんですが、しかしこのLUNGSという舞台、あまりにも「人間の綺麗なところも醜いところも高潔な理想も低俗な欲望も全部全部ごちゃ混ぜにした、突飛でもなければありふれたとも言いきれないふたりの半生」が過ぎるんですよ。壮絶と言うにはちっぽけで、ありふれたと言うには残酷な運命に振り回されたりする。

えっ…?結局何が言いたいんですか…?

お答えしましょう。分かりません。お恥ずかしいことに、ブログを綴っている現在の時点でこのブログの着地点が全く分かりません。いや見切り発車も大概にしろや。

…とりあえず脚本や舞台の外枠とあらすじをざっと、この後のパートを読む際に疑問点が生まれない程度に書いていきますね!



英国を、そして現代を代表する劇作家の一人であるダンカン・マクミラン氏による脚本「LUNGS」。既に海外で多数上演され「現代戯曲の最高傑作」との呼び声も高いこの脚本が、ジャニーズWESTに所属する神山智洋くんと女優の奥村佳恵さん、そして演出家の谷賢一さんの手によって初めて日本で上演されました。

とりあえず公式サイト貼っ付けますが、私の怠惰によりこのサイトがクローズされるのが本ブログアップ当日、2021年12月31日となっております…!はよブログ書いとけやホンマ…!

www.lungs.jp

 

この作品は、素舞台で上演されることを想定している。背景も、家具類も、小道具も一切なく、マイムもしない。衣装替えもしない。照明変化や音響で、時間や場所の移動を示すことも行わない。(戯曲ト書きより)

 

『LUNGS』は、舞台セットや音響、照明などに頼らず、二人の俳優、演出家をはじめとするクリエーションチームの想像力、そして観客の想像力のもとに創り上げられる作品です。(舞台「LUNGS」公式サイトより)

 

小中高の部活動とはいえ、10年弱の舞台経験がある私はこの文章で震え上がりました。こんなに役者の技量が試されるシチュエーション、ない。
実際は円形の舞台が客席に飛び出す形で組まれていたり、観客の感情を煽る音楽や照明効果があることにはあるのですが、とにかく役者は100分間動き続け、会話をし続けます。「役者なら一度は経験したい」と語る俳優は多いけれど、演劇人寄りのパンピである私として絶対にやりたくない。本当にやりたくない。仮に担当・神山智洋さんと共演できるオプションが付くと知った上でオファーがあったとしてもギリ「受けたくない」が勝つ。だって、何も誤魔化せないから。舞台上で会話のピッチャーとキャッチャーになること以外許されず、観客の目全てが舞台上の2人だけに注がれる。これがどれだけ神経をすり減らすか。これをやり切れる人が日本に何人いるか。私は絶対にそうはなれない。心の底から、この舞台33公演を完走した神山くんと奥村さんを尊敬しています。

このブログを開いた方の多くがご存知でしょうとは思いますが、この舞台は2人芝居です。この2人の氏名の描写は脚本になく、日本語版脚本において2人はお互いのことを「君」「あなた」と呼びます。以下、神山くんが演じた男性を「M」(Man)奥村佳恵さんが演じた女性を「W」(Woman)と表記します。

↑まずここから語りたい。(早い)
神山くんも奥村さんも、谷さんもブログやTwitterでMのことをM、WのことをWと表記したのでこの表記を使っています。恐らく台本もM・W表記です。(ぼんやりとした写真がパンフレットに載っていた、FかWかと聞かれたらたぶんWかなという感じ)
だがしかし、舞台のポスターやフライヤー、公式サイト等の宣伝美術には「M」と対立する概念として「F」が置かれている。「F」は言わずもがなFemaleのことですし、Femaleに対立する「M」は同じMでもManではなくMaleになりますね。一応解説すると、Womanが社会的な性・ジェンダーとしての女性を指すのに対し、Femaleは生物学的な性・セックスとしての女性、荒い日本語で言えば「メス」を指します。
なぜここに齟齬が生まれたのかは日本版LUNGS制作陣のみぞ知る…というところなので何とも言えないのですが、ジェンダー論を全く齧っていない筆者によるこのブログに限っては、FだろうがWだろうがどちらでも問題はないと判断した上でM・W表記でいきます。俳優陣が使っていた表記だし、何となくWomanのほうが名詞として使われているイメージがあって、役の名という感じがするし(もちろんどちらにも名詞・形容詞の用法があるのは承知しています)(筆者の知識は語学的な方向に偏っているのでその観点からの話ばかりになっています。すみません)

ここで色でも使ったほうが見やすさはあるのかもしれないけれど、舞台へのリスペクトも込めて青やピンクといった色は使わず太字にしました。頭の中がLUNGSに支配されている私としてはほんとうはも良いなと思ったけれど、未観劇の方に「で、出~~~wwwむやみやたらに自担カラー使いたがり奴~~~www」とか思われそうなので止めます()

 


………まだあらすじに入ってないのにこんな文字数(2,000字超)になってしまった。何万字書くつもりなんだ。いよいよあらすじです!

もちろんネタバレしかしておりません。

今ならブラウザバック間に合います。もう大千穐楽もとっくに過ぎておりますが、ネタバレとかお断りだから!という方はここまでで…!

 

 

 

 

舞台は2021年よりきっと少し先の未来。温室効果ガスがもたらす異常気象が起こりつつある地球。とある先進国、もしかしたら日本かもしれない。

MとWは同棲中のカップル。結婚はまだしていない。

 

ある日、MはWにふたりの赤ちゃんを作らないかと話を持ち掛ける。この言葉に驚いたWの「赤ちゃん!?」というセリフから、舞台が始まる。

 

MはWとの子供を作ることに対してやや楽観的で、そしてとても積極的。一方Wは、子供を作ることが「人生における私の目的だし、地球に対する私の役割」であると捉えつつも、自身が環境に関わる研究をする大学院の博士課程に属していることもあり、「本当に地球のことを考えているのなら、子供は作らない」とまで考えてしまう。

「5年間毎日飛行機でニューヨークまで行って帰ってきても、その二酸化炭素の排出量って子供一人持つより少ないの。1万トンのCO₂。それってエッフェル塔の重さだから。私エッフェル塔を生むことになるんだ。」

(後のWのセリフ。パンフレットに載っていたものを引用)

ちなみにMは売れないミュージシャン。音楽関連のフリーランスをしている。

IKEAで、車中で、家で、MとWはこの話をするが、なかなか結論は出ない。次の水曜日に二人はクラブに行き、その帰りに突然Wが、子供を作る決心をしたとMに伝える。

帰宅した二人はセックスをしようとするが、欲情したMにWは怯え、子供を作ることにも尻込みしてしまう。

翌朝、Mは断られた気まずさを孕みながらも、Wに「(子供が吐き出す二酸化炭素を吸収するための)木を植えよう」と提案する。

Mが自分なりに子供を持つことについて考えて、同時に不安を抱えていると知ったWは、次第に子供を作ることに前向きになっていく。Mに定職に就くことを求め、Mは大企業に就職する。

Mは自分なりにWの話す内容を理解しようと、Wが出した本やWがリツイートした論文を読んでいた。環境についての企画を会社で提出するようにもなっていたのだ。

しかしまさにその企画の会議をすっぽかし、Wと公園のトイレでセックスをしてしまう。

 

ある日、Wはしばらく生理が来ていないことに気付く。妊娠検査薬を使用したところ、結果は陽性であった。

 

どちらの両親に妊娠を伝えるかで軽く揉めるなどするも(二人はお互いにお互いの両親のことを嫌っていた)、二人は概ねその事実に喜びの感情を抱いていた。

MとWは子供部屋を作るなど、子供を持つための準備を進めた。(この子供部屋をWが真緑にした、というのが先ほどのお話の元ネタです。Wが「ピンクとかブルーとか黄色は嫌だったから」と言っていたので)

 

しかし喜びも束の間、Wが身籠ったMとの子供は流産してしまう。

 

二人は、特にWは憔悴しきっていた。Wに対して明るく振る舞おうと努めるMも、Wがあまりにも落ち込んでいることを感じ更に辛くなってしまう。Wは、「私たちは一緒にいるべきなのか」とMとの交際自体をも考え直そうとする。

そんな日々が続く中、Mは会社で派遣社員の女性とキスをしてしまった、とWに報告する。激昂したWは「私たち、子供いなくてよかったね!」を捨て台詞に、Mと別れる。

 

 

数年後。Wの母親が亡くなり、Wは久々にMと連絡を取り、再会する。地球環境はどんどん悪化していた。

二人はそれぞれの近況を話し、その流れでまたセックスをしてしまう。この時点で、既にMには先ほどの派遣社員とは異なるパートナーがいた。

 

そしてWはMの子供を再び身籠る。Mはもうすぐそのパートナーと結婚する予定だったが、Mの元カノ(W)の妊娠を知ったパートナーは激怒しMを振る。

WはMのだらしなさに呆れ彼を罵るが、二人は言い争いながらも、結婚しこの子供を生み育てることを決意する。

 

以降、出産と子供の成長が(これまでよりずっと)断片的に描かれる。MとWは次第に老いていく。Mが先に帰らぬ人となり、Wも生涯を閉じる。

 

 

 

…あらすじ、こんなところだろうか。後半がスカスカすぎると言われそうですが、実際こんくらいのスピード感に思いましたよ???(リスクヘッジ)

 

もうさ、何から書いていいかわかんないのよ。そんな状態でよくブログを書こうと思ったなと自分で自分をはっ倒したくなるけど、これは本当にそうなのよ。感じたことは洪水のようにあって、それをなんとか言語化したいんだけれど、例えばTwitterの140字で感想をまとめろとか言われても無理。綺麗な言葉でまとめられない。「推しの舞台行ってきたんでしょ???どうだった???」と幾度となくリア友に聞かれたけど、「凄くて、しんどかった……………」しか言ってない。あまりにも語彙が終わっている。

 

何万回でも言うけれど、この舞台を演じきった神山くんと奥村さんは本当に素晴らしいし、谷さんの演出も非常に効果的で魅力的だった。スタッフ陣の皆様も含め、彼らが創り出した「LUNGS WORLD」に私たちはいざなわれ、引き込まれた。私が観劇した中ではすべての回でスタンディングオベーションがあったし、「いやそりゃあみんなスタオベしたくなるよな」と思った。それが「凄い」の部分。

 

そして、オタクとしても、ひとりの女性としても、この舞台はとってもとっても「しんどかった」。いい意味でもよくない意味でも。

 

もうあらすじ説明して大体ストーリー把握してもらったし、もうここからは「文字数制限のないTwitter」の如くほぼ箇条書きで思ったことをだらだら書き連ねていきたい。自分の備忘録も兼ねています。

 

 

私は19歳女子。大学1年生で、とある外国語を専攻している。大学を卒業したら院には進まずに就職しようと思っている。母と弟と一緒に母方の祖父母の家で暮らしており、母の兄も含め6人で暮らしている。父親の顔は覚えていない。

大学までずっと公立の学校に行ってくれと母に言われて育ち、今も国立大学の授業料をなんとか払っている状況。大学まで行かせてもらっていることにはただただ感謝しかないが、だからこそ私自身は子供を持ちたくないと思う。経済的に子供を困らせてしまうだろうから。「私と同じ思いをさせたくない」なんてあまりにも母に失礼だけれど、優しくて経済力のある人が私を好いてくれるなんてシチュエーションでもなければ結婚したくない。子供も欲しくない。今は本気でそう思っている。母より先に死にたくはないし、弟が私を看取ってくれんかなと思う(笑)現実世界では全然恋愛体質ではないし、彼氏いない歴イコール年齢。あんまり自分の恋愛的なサムシングに興味はないが、強いて言うならヘテロではある。神山くんを含めジャニーズに2人担当がいるが、俗に言うリア恋オタクではない。と思っている。自分を「○○系オタク」とカテゴライズするなら、神山くんに対しては「生き様大尊敬崇拝系オタク」だなあと思っています。

 

…急に自語りすみませんが、「こういう人間が今ブログを書いてるんだよ」というご説明です。この舞台、自分が育ってきた環境だとか、子供を持つことに対するモチベーションだとか、セクシャリティだとかによってきっと感想が大きく変わる。多分日頃神山くんをどう捉えてるかによっても変わってくる。このブログはあくまで「子供欲しくない19歳女子大生が、LUNGSを観て考えたこと」にすぎません、という注釈。です。

 

もういい加減引っ張るなよってね!ここまで引っ張るほど読み応えのある文章じゃねえよってね!

 

 

 

「LUNGS」というタイトル。言わずもがな「肺」を表す英単語の名詞、ちなみに複数形です。

なんでこのタイトルなんだろう。そもそも肺の構造がピンとこない。(筆者はド文系、国立大学を受験したのに理科系科目を一切勉強しませんでした)(大学がバレる)

というわけで「肺」でググりました。このワードでググったら製薬会社のわかりやす~い解説HPがトップに出てくる、という知識を得ました。たぶん肺をググってる神山担、私くらい。

www.chugai-pharm.co.jp

このサイトにある図を見てもらったらわかるんだけど、肺って非対称なんです。簡単に言うと左肺が2層構造なのに対して、右肺が3層構造。私、肺が非対称なの知らなかった。知らなかったけど、私的千穐楽の公演が始まる前に、既に購入したパンフレットの表紙をジッと凝視して「なんか左右対称じゃない気がする…向かって左側(右肺)が膨らんでるような…」とは思っていた。マジで。嘘じゃない。パンフを開かず表紙だけを眺めていた観客をグローブ座で見た気がしたら、それ私です。

 

「非対称」と言われると、なんだかMとWに重ね合わせたくなりませんか? 私はなりました。

W「"あなたは"話をしてるわね!」M「"二人で"話をしてるんだ!」という序盤の言い合い。二人の社会的立場、言ってしまえば学力の差。そして何より、子供を持つというシチュエーションにおいて、Wだけが子宮を持ち、Wだけが十月十日お腹に命を宿す。

「完全に対等」なんて夢のまた夢。どちらかが相手を見下しているとか虐げているとかそんなんじゃなくても、一緒に暮らせば、子供を持とうとすれば、どうしても不平等、非対称になる。どれだけ当人同士がお互いを対等だと思っていても、Wの言う通り「それはそう」だし、Mも1回目の妊娠の時点で「既に僕たちどこか平等じゃないって感じてる」と不安を吐露しています。

ほら、ポスターの青い肺のイメージがだんだん二人に重なってきた………(催眠術ですか?)

そして非対称なこと以前に、肺とは動物の呼吸器官です。あたりまえ体操。ちょっと中学校の生物覚えてなくってほかの動物がどうだったか言い切れないんですが()、少なくとも人間は生きている限り肺という器官を用いて酸素を取り入れ、二酸化炭素を吐き出します。これもあたりまえ体操

先ほどのあらすじでも触れた「5年間毎日飛行機でニューヨークまで行って帰ってきても、その二酸化炭素の排出量って子供一人持つより少ないの。1万トンのCO₂。それってエッフェル塔の重さだから」というWのセリフが思い浮かびますね。温室効果ガスによる地球温暖化はこの舞台の重要なトピックの一つです。人間が生涯にわたって吐き出すCO₂って、私たちが思っているよりずっとずっと多い。なんならこの舞台には反出生主義をほのめかすセリフもあります。「本当に地球のことを考えているなら子供は持つべきじゃない」だったかな。「本当に地球~なら、今すぐ息を止めて死んだほうがいい」みたいなことも言ってた気がする。もちろんそうはしなかったけれど。

 

あと私はまず『LUNGS』という題名自体が興味深くて「肺(LUNGS)ってどういう意図なんだろう?」と思っていたんです。稽古に入ってセリフを言ってみたら、場面によって実際に呼吸が浅くなったり深くなったり変化するんですよ。例えば興奮して呼吸が浅くなっている状態、私たちはそれを"LUNGS状態"と言ってるんですけど、呼吸にはその人の感情や状態が表れますよね。だからそれぞれの呼吸の状態、それが2人の間で合っているのか、合っていないのかも重要になる作品だと思いますし、そういう部分にも注目していただければと思います。

(奥村佳恵さんインタビュー、パンフレットより引用)

神山くんは最初「LUNGS」という単語の意味を知らなかったそうなのでタイトルについての彼のインタビューは割愛するんだけど、奥村さんの語る「LUNGS」というワードに込められたものも興味深かった。確かにスタンディングオベーションの最中に「やっと呼吸が支配から解放された」とは感じた。観ている側もLUNGSの世界観に引き込まれ、場面によって呼吸の深さが変わったように感じたのだ。私たちは呼吸さえこの二人に支配されていた。と私は感じた。

人の感情を表すにはよく鼓動の速さや顔の赤さが比喩として挙げられたりするけれど、確かに呼吸もその人の精神状態の映し鏡であると捉えられる。そんな意味で呼吸を司る肺をタイトルにしたのかもとも考えられる。

考えれば考えるほど深いタイトルで、ダンカン・マクミランすっげ~~~~~~~!!!と大の字にならざるを得ない。私はこんなタイトル付けられん(自分が書いてきた脚本のタイトルの絶望的センスを眺めながら)

 

待って。タイトルで2000字語ってる。ほんとに何万字書くつもりなの私。

 

私がこの「LUNGS」のタイトルを切り取るなら、その非対称性に着目したいと思った。「非対称な一対」としてのMとWに目を向けたい。

………やっとブログの方向性が見えてきた。方向性が見えないまま7600字も書いてたんですか?怖。

 

 

 

MとWの「非対称性」。もっとありふれた言葉で言えば、「二人の違い」。そこに焦点を当てながら、2パートに分けていろいろ書き殴っていこうと思います。

 

  • 「子供を産むこと」「子供を持つこと」に対しての認識

もちろん、この舞台の主題である。もうほんとに、ぜんっぜん違う。ぜんっぜん違うからこそこの舞台が100分も続くわけだ。そもそもMがWにこの話をし始めた場所がIKEAなんだけど、もうそこからWは呆れ返っている。まあ、観客も思ったよね、そんな話IKEAで並んでる最中にすなよって。

子供を作るって、神聖な奇跡でありながら同時に低俗な手段(セックス)をほとんどの場合で必要とするじゃないですか。だから、そんな大事でそんなはしたない話を公衆の面前で何ぶちかましとんねんと。Wも「今じゃない!」とキレてたし私も呆れて笑っちゃった。

でもMはMで、きっとこの話を切り出すタイミングをずっと探っていた。「じゃあいつなら(この話をして)いいの…!?」というセリフがあった(気がする)()。

これは「世の男性はみんなそうだよね」とバカデカ主語で括りたいのではなく、あくまで「私から見たMはそうだったんだよねえ」という"いち感想"にすぎないことを何度でも注釈しますが、Mはたぶん出産のキラキラした部分を大きめに捉えていて。「大変なのはわかるよ、でもそれ以上に子供を持ちたい、育てたい!僕ももちろん当事者として関わるよ」みたいなのが全身に滲み出てた。きっとそのへんの男性よりはMはちゃんと子育てに関わってくれるんだろうなとはこの舞台を通して思いはしたけれど、たぶん「どう大変なのか」Mは自分が思っている以上に分かってなかったと思うんだ。Wの力説(というかもはやまくし立て)も「分かるよ~(右から左)」というリアクションを取っていた。ように見えた。

なんかこんな言い方すると「Mは考えなしのアホ!」みたいな印象を皆様に押し付けてしまいそうだけれど、そうじゃない。だって、そりゃあそうなんだもん。Mの落ち度じゃない。

生理が来なくなってつわりが来てお腹はどんどん大きくなって胸は変形する。出産した後も母乳を与えなきゃ(ミルクでもいいけれど)。それってどうやっても女性しかできない。先ほども書いたけれど、ここを対称にするなんてできないんだ。極端な話、精子卵子に受精したらもう男性側は何もしなくても子供が育つ。Mが何もしないわけではないけれど、「それはそう」じゃないですか。実際私は父親にもう十何年も何もしてもらってないし(それはそれで別問題なのよ)

Wと同じようにMが妊娠を実感できることはない。だから少しでも介入したくて、実感したくて、妊娠検査薬を使うところも目に焼き付けたくなるし(「僕は全部見たいんだ!!」と言ってトイレまでついてくるのは引いたけど)、自分がWのお腹をさすっているときに赤ちゃんが蹴ると「蹴った!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と大喜びする。これアドリブ入りのシーンだったんだけど日に日に過激さが増していってたな。SHAKEのキムタクの3倍ぐらい舌巻いてた日もあれば、勝龍拳をぶちかます日もあったし、円形舞台を飛び出して駆け回る日もあった。

2回目の妊娠、1回目の出産では手握りながら立ち会うし、M自身も「自分を台風の目のように感じることがある」みたいなこと言ってたあたり、その無力感、非対称性は自分でも感じながら少しでも彼女が背負うものを自分も背負いたいと思ってた。ように見えた。

 

 

  • 非対称でありながら映し鏡

パンフレットの神山くんインタビューと奥村さんインタビューの間に、青い背景の前に立つ二人それぞれの写真とともに、セリフが引用されている。

Wのセリフが、

骨がなく生まれても、足がなくても、顔がなくても構わない、ただの皮膚のかたまりがひたすら泣き叫んでいるのでも私は構わない

映画の「イレイザーヘッド」に出てくるみたいなのだとしても私のだから、

私たちのだから、私たちの一部だからだから私たちはそれを愛するようになるし、そうだよ、私たちは愛するようになるそれがたとえ、たとえどうでも。

であるのに対して、Mのセリフは

本棚から本を持ってくる。どの本にも君がアンダーラインを引いたあと。

余白には星が書いてある。君がハイライトした文をじっと見つめる。

その段落をもう一度読んでみる。

僕には見えない何がこの人には見えていたんだろう?

僕が理解していないことはなんだろう??

 

である。

凄くない?もう伝わるよね、MってめちゃくちゃWのこと好きだな。MはWのことを尊敬しているし、それでいてめちゃくちゃに好きなんだよな。たぶんWと一度別れた後、別の女性と付き合って婚約したときもきっとWのことを無意識下で好きだったんだと思うんですよ。ゴムもつけずに元カノ(となった)Wとやって、あとで「私とセックスしてるときもあなたは彼女を愛してたんだ!?」と詰め寄られるんだけど、"違うんだよ…たぶんこの人、どっちかというと「彼女と婚約を決めたときもWを思い出してた」ほうだよ………もはやこれは虚妄だけど………"と思って観てた。(憶測だよ!!!!!!!!!!!!!)

こうして文字に起こすとなかなかサイテーな男ですね。観劇直後の私のふせったーを見たらMにキレ散らかしていました。「自担と同じ顔じゃなかったら舞台上に殴り込んでた」とか書いてある。キレすぎだろ。

 

神山くんインタビューの前に引用されているMのセリフも、

転換点はとっくに超えていて今するべきは適応と軽減そしてあとはただもう心の準備。

洪水。干ばつ。ハリケーン。食糧難。水道民営化。大量絶滅。財政破綻。政情不安。戦争。

絶対的な大災害を回避し2030年までもつのか。

といろいろ語ってると思うじゃん?でもこれ(私の記憶が正しければ)(このセリフをMが話すとき、Wがハチャメチャに動いてたのが面白くてあやふやなんだよな)Wがリツイートした論文の概要をそのまま述べてるだけなんですよ。

Wは博士課程で後に博士になるし、いろんなことを考えられる。そして口が回る。そんなWをMは心から尊敬していて、なんなら鳴かず飛ばずのミュージシャンの自分にはちょっと釣り合わないんじゃないかと不安なくらいで。手放したくないから子供が欲しいし、養子じゃなくて自分とWの子供が欲しいし、Wの両親に「別の男の子供ならよかった」と思われてるんじゃないかと不安になって荒れるし、Wの持っている本もTwitterもWが書いた本も読む。

Wが自分の排尿音を誤魔化そうと水を流してとMに頼むけれど、「水流しっぱなしはダメだよ!」と環境のことを考えた言動をしてしまう。そして当のWに「ちょっとくらい地球のこと考えるのやめられない!?」と怒られる。不憫。

MはWの言葉を吸収したくて、理解したくて、全力で話を合わせるし、それを自然にこなせるようになるための努力も惜しまない。(「僕は君を見てる、全部君から受け取ってる!」)

Wに愛想を尽かされるきっかけとなったMの言動、私は流産した後に「またトライしよう」となんともデリカシーに欠ける表現を使ってしまったからだと思ってるんですが、これ最初に子供を作るセックスしようとした日にWが言ってた「私たち、トライしてる」という言葉をMが吸収したから出てきた言葉なんじゃないかと思うんですよ。憶測ですけど。

Wと別れた後は本も新聞も読まなくなるし世界で何が起きているのか把握しようともしない。Wと再会して近況を話しているとき、「何も考えない人たちに昔は腹を立てていたけれど、その人たちの気持ちが今はよく分かる」と言っていた。

う~ん、影響されすぎじゃん。すごいな。

まあもっと低俗な話をすると、Wからセックスのお誘いがあったらMはデロデロに鼻の下伸ばすし(後にも先にもあんなだらしない自担の顔見ることないだろうな)会議があってもすっ飛ばしてやっちゃう。「傷つけたい、少しだけ声をあげさせたい」「君の中に入りたくてたまらないことがある」「君をひらいてこじ開けて…」これ全部Mのセリフです。とんでもねえ舞台だな。

Mは「僕は君という陽子にとっての核」と自己をとらえていたけれど、君の世界の中心はWやないかい。とツッコみたくなった。(Wが自由に翼を広げるなかで、Mがそれを見守っているという構造は理解できるしそれもそうだなあとも思ったよ)

かといってWもWでどうしようもなくMを求めるときがあって。Mが会社勤めになった初日の夜に「寂しかった…」と抱きつくし、週に1回は一緒にランチしたいし、バックハグしてほしくなるし。Mと別れた後は誰とも付き合わないしほかの男性に近づこうと思ってもキスすらできなかった。完全に一緒ではないし対称ではないけれど、重さ(概念の話)はイコールで結べそうだなと思いましたよ。

 

 

………こんなところかな!

いや、書きたいことはまだまだあるんですよ。LUNGSを語るうえでは、自身のバイアスについてしっかり伝えることが最重要だと思うし、それって自分語りを少なからず含むじゃないですか。自分語りっていくらでもできるじゃないですか。だからLUNGSの話もいくらでもできるんですよ。なんて謎理論展開してんだよ。でもあくまで「ふたりの非対称性」にテーマを設定して話してたら11000字を超えたのでこの辺にしておきます。いやまだまだ書きたいんだよ…!「2回あるバックハグ、1回目は引っ付きに行ってたけど2回目は引き寄せてる感じがしてしんどかった」とか頭の弱いことも言いたいんだよ…!!!

 

これからもTwitterでちょこちょこLUNGSの話はし続けると思います。それだけの重みがある舞台だったから。息をしている間にこの舞台に出逢えて、本当によかったとしみじみ感じます。神山くん、こんな素敵な舞台に出逢わせてくれてありがとう!あなたのことが大好きで、心から尊敬しています!

 

 

【再掲】最高の君に告ぐ! 今日の主役は神山智洋くんです

この文章は、私が所有する別のアカウントで掲載していた文章を再掲したものです。

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今日は2021年7月1日。

ジャニーズWEST神山智洋くん、28歳のお誕生日おめでとうございます!!!!!!!本当におめでたい!!!!!!!

 

神山くんというアイドルが私の視界に入り始めて、次第に心のはんぶんが神山くんに持っていかれるようになって、今回が2回目の神山くんのお誕生日。まだ2年経っていなくて、もう2年近く経っている。びっくりです。きっとこれから7月1日が来るたびにびっくりするんだろうな。当たり前のように私の心に居ながら、ずっと新鮮な気持ちであなたをただ好きでいるのだから。

27歳の神山くんは本当に本当にかっこよかった!

「頑張っている証拠だよ」と歌うその声で多くの人を魅了し、流星くんとともに舞台の座長を務め上げ、音楽誌で創刊号からの連載が決定。多くの芸能人が集まるオールスター感謝祭ではなんと優勝。芸人さんとの歌ネタコラボでも抜群の歌唱力を発揮し、配信ライブではグループで一番の低身長ながら、圧倒的な存在感を示すシーンがダイジェストからでもたくさん見てとれました。(受験期だったのでダブトラ視聴できてないんですよね、円盤化懇願)

年が明けたらサンボマスターさんとのアツいアツいコラボを全力で楽しむ姿が見られました。アルバムではグループ曲と自身のソロ曲を作詞作曲しながら特典映像で女装もこなし(笑)、シングルのカップリングでは四部作を締め括るバラードで多くのファンを感動させていましたね。有観客ライブも始まり、FINEBOYS単独表紙も飾り、あらゆる場でエンターテイナーであり続けている神山くんの1年。

(えっ待って、自分で抜粋しててびっくりするけど27歳の神山くんほんとエグいな)

 

 

この1年、神山くんの知らないところで、私は何度も何度も神山くんに憧れて、救われていました。

神山くんが流星くんと作詞した曲「ANS」の、「まだ夢の途中だ 半端じゃ終われないさ」という神山くんのパートは受験期の私が何度も口にしたフレーズ。(ANSがリリースされたのは神山くんが27歳になる前だけれど、この1年ずっとリピートしていました)

RIDE ON TIMEのカメラの前で「自分の力で、自分次第で、何でもできるんだよっていうパワーが届けばいいな」と語った神山くん。自身の経験に裏付けられたこの言葉は"自分なんかにできるわけがない"と悲観的になっていた受験期のわたしを引っ叩いてくれました。

まだまだ伝え足りないけれど、27歳の神山くん、本当にありがとう!

 

神山くんにはなれないけれど、神山くんのような優しくてかっこいい生き様を見習いたい。神山くんのように真っ直ぐに生きたい。その想いは毎日更新されています。

 

 

28歳の神山くんにはどんな幸せが待っているだろう。

まずは大きな仕事、初主演舞台「LUNGS」が秋にありますね。神山くんの「初」をお祝いできて嬉しいし、すごくすごく楽しみです。行けるといいな…!

それ以外にも、アイドルの神山くん、エンターテイナーの神山くんのいろんな顔が見られる1年になれば最高です。もっともっと多くの人に、神山くんの努力と輝きが伝わってほしい!伝えたい!

 

ソロ曲「KNOCK  OUT」で「過去は足枷じゃない 糧にするもんだ」と歌う神山くんにとって、27歳の1年が糧になったのは間違いないでしょう。28歳の1年も「我武者羅に生き抜いてや」る自担を、私は応援します。

神山くんに、幸あれ!!!!!!!